藤井日達聖人の生涯

             
          藤井日達聖人の生涯

        年号  西暦  年齢    事柄

明治一八年 一八八五年 一歳
     八月六日・熊本県阿蘇郡坂梨村字尾の花に生まれる 父・藤井十次郎 
母・藤 井ミナの次男 幼名・芳雄
明治三三年 一九〇〇年 一六歳
     三月・阿蘇中部高等小学校卒業
明治三六年 一九〇三年 一九歳
     三月・大分県立臼杵農業学校卒業 四月・大分県北海部郡臼杵町・法音寺足立 . 日瑩上人の許で得度受戒


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前列中央が 足立日瑩上人 後列中央が藤井日達上人



明治三七年 一九〇四年 二〇歳
     九月・日蓮宗大学(現立正大学)に入学 
明治四〇年 一九〇七年 二三歳
     日蓮宗大学卒業 京都日蓮宗大本山頂妙寺に寄留 慈舟院日英上人の知遇を受ける。


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頂妙寺 慈舟院日英上人  



明治四二年 一九〇九年 二五歳
     京都東山鹿ヶ谷私立宗教大学研究科(浄土宗大学院)修了天台三大部を勘息義成師に、唯識を大鹿愍成上人に、起信論・倶舎論を辻川善徴上人に師事し研鑽。十二月・大分県歩兵第七二連隊第一一中隊に一年志願兵として入隊     
明治四三年 一九一〇年 二六歳
     十一月・陸軍歩兵軍曹に任官
明治四四年 一九一一年 二七歳
     三月・陸軍歩兵少尉に任官 満期退営 後 頂妙寺に寄留 四月・奈良法隆寺, 勧学院に入り法相倶舎論を佐伯定胤上人に師事研鑽


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法隆寺  佐伯定胤上人  



明治四五年 一九一二年 二八歳
     四月・京都東寺真言宗連合大学に入り、真言教学を研鑽 明治天皇崩御を機とし、最初の焼身供養を行じ、三三歳より衆生教化を行じるという夢告を受ける。(以来 焼身供養は六編に及ぶ)
大正二年 一九一三年 二九歳 
     10月・滋賀県蒲生郡安土村・浄厳院にて法相唯識を大鹿愍成上人に師事研鑽

大正三年 一九一四年 三〇歳
     七月・兵庫県三島郡豊川村・勝尾寺にて真言教学研鑽 八月・京都日蓮宗大本山妙顕寺河合日辰上人に随身、宗乗を承る。九月滋賀県堅田町春日山に「聞法教会所」開堂。十月・京都臨済宗大本山建仁寺僧堂に入り、禅教学を竹田黙雷禅師に師事研鑽


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妙顕寺 河合日辰上人 


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建仁寺 竹田黙雷禅師  



大正四年 一九一五年 三一歳
     四月・岐阜県真庭郡木山村・木山寺にて華厳の章疏を七日間にわたり審詳。八月・京都法華寺、愛染寺、頂妙寺にて天台四教義を講義。九月・建仁寺僧堂に帰る。十月・滋賀県高島郡比良の八淵の滝にて七日間の断食行。堅田聞法教会所 にて行欲日浄師・丹波行足尼最初の弟子となり得度す。十月・再び大鹿愍成上人に成唯識論を研鑽
大正五年 一九一六年 三二歳
     九月・奈良歩兵第五三連隊に招集、同月中に除隊。 堅田聞法教会所に帰山。天台止観、正觀章を研鑽 十一月・奈良県山辺郡丹波の桃尾の滝にて七日間断食行。満願日暁天、毒天の二鼓ここになり。撃鼓宣令・一天四海皆帰妙法の大願をたて、春日神社社頭にて初めて撃鼓唱題し法味を献ず。
大正六年 一九一七年 三三歳
     一月・堅田聞法教会所にて解行成満の新春を迎え、大法宣布を熟慮す。同月五日法鼓を撃って堅田を出立、東京に入る。二月一日・身延山祖廟にて 撃鼓宣令、四海帰妙、広宣流布の誓願を表白。同月八日・皇居二重橋にて立正安国論要文を記した玄題旗を奉じ、国主諌暁、大法を奏進し、皇居一周撃鼓唱題、下種結縁の化他行七日間。東京神田末広町・野崎作次郎宅に掛錫。十月九日・大陸開教に出立のため福井市・妙長寺に掛錫中、慈母危篤の報に接し、朝鮮白馬に赴き悲母を見舞い、平癒っを祈りて後、金剛山を経て満州に入る。
大正七年 一九一八年 三四歳
     十月二二日・遼陽に「日本山妙法寺」開創。
大正八年 一九一九年 三五歳
     五月一一日・白馬にて慈父帰寂。法号・開権院日實信士。同月・大連市西王家屯道場開道。十二月・大連市向陽台道場開堂
大正九年 一九二〇年 三六歳
     九月・沙河口道場開堂
大正一〇年 一九二一年 三七歳
     七月・瓦房店道場開堂。八月・鞍道場開堂。
大正一一年 一九二二年 三十八歳
     満州、支那巡錫
大正一二年 一九一三年 三九歳
     七月・天津道場開堂。八月・北満ハルピン開教。九月・関東大震災の報を受け、十月・帰国、東京に入り焦土街頭祈念を行ずる。十一月・国内各地を巡錫、撃鼓唱題・立正安国の祈念行を行ず。

大正一三年 一九二四年 四〇歳
     四月・静岡県富士郡元吉原村に内地最初の日本山妙法寺開創。悲母、行安院日蘇大法尼として得度受戒。五月・花屋敷道場開堂。七月・福岡県筑前道場開堂。
大正一四年 一九二五年 四一歳 
     春・奉天道場開堂。五月・熊本県花岡山行勝寺(現日本山妙法寺花岡山道場)開堂
大正一五年 一九二六年 四二歳
     四月・静岡及び沼津両道場開堂。八月・神奈川県に葉山道場を開堂し、大正天皇病気平癒祈念行。十一月一三日、天皇崩御諫暁祈念中、葉山署に検束ある(第一次葉山法難)
昭和二年 一九二七年 四三歳
     二月六日、大正天皇御大葬に撃鼓唱題せんとし、巣鴨署に三日間検束拘留。獄中にて引導文奉上(巣鴨法難)。四月・三鷹市牟礼道場開堂。九月・伊豆長岡道場開堂。十月・栃木県那須、静岡県御殿場に道場開堂。
昭和三年 一九二八年 四四歳
     二月・熱海市錦ヶ浦、栃木県日光市、宮城県仙台に道場開道。三月二三日、今上天皇両陛下、葉山行幸ご奉迎のための祈念中、葉山署に検束。二四日、鎌倉署。二五日、藤沢署。二七日、鎌倉署と回さる(第二次葉山法難)。十月・宮崎県宮崎道場開道。十一月・大阪船場署に拘留(船場法難)。十二月・兵庫県尼崎道場開道。
昭和四年 一九二九年 四五歳
     東京市に中野道場開堂。十月一三日、中野公会堂にて「立正安国論講讃」を獅子吼す。十二月・那須道場宝塔開眼。
昭和五年 一九三〇年 四六歳
     二月三日より三日間、日本橋・白木屋前にて辻説法。同月二五日、悲母行阿院日蘇大法尼、熱海錦ヶ浦道場において遷化。八月二四日、西天開教に熱海を出発。八月二五日、身延山祖廟に西天開教の誓願を表白し、 悲母行阿院日蘇大法尼供養塔を開眼。九月一日、神戸より孤身法鼓を奉じ西天開教の壮途につく。四日、大連到着、満州各地を巡錫。十月天津に入り北、中支を巡錫。十二月・上海に宝塔建立。同月二七日、シンガポール。
昭和六年 一九三一年 四七歳
     一月一六日、印度カルカッタに上陸。西天開教第一歩を印す。時、正に日蓮大聖人六五〇年遠忌。二月・仏跡巡礼開始。ラジギール、ボーダガヤ、サルナート、クシナガラ、を巡錫し、ラジギール仏教復興の誓願をたてる。
昭和七年 一九三二年 四八歳
     五月・火葬場にボンベイ道場を開堂。十一月・仙台市原町道場開堂。(同年一月二四日、行上院日海師、上海街頭修行中法難に殉じ遷化)
昭和八年 一九三三年 四九歳
     二月・スリーランカー、コロンナーワ道場開堂。スリーパーダ岩窟道場開堂。四月・舞鶴道場開堂。六月・満州国開原堂場開堂。八月二五日、ランカー、ギニガッテーナ寺N・ピヤラタナ上人より仏舎利を感得する。九月・台湾台北道場開堂。十月四日、インド、ワルダにおいてマハートマ・ガンヂィー・ジーと会見し日本仏法を伝授。引き続きセワァグラム・アシュラムに掛錫。以後、アシュラムの祈りの初めにお題目が轟く。満州チチハルに宝塔建立。十一月・カルカッタ道場宝土決定。十二月・カルカッタに掛錫。


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マハトマ・ガンディー



昭和九年 一九三四年 五〇歳
     二月・福井道場開堂。四月・カルカッタ道場地鎮祭。東京深川道場開堂。五月・ビルマ開教。十月・行阿院日蘇大法尼追悼道場が熱海曽我山山頂に開堂。
昭和一〇年 一九三五年 五一歳
     二月・カルカッタ道場開堂。四月・香港道場開堂。十一月・阿蘇尾の花道場開堂。十二月・ボンベイ道場宝土地鎮祭。トタン小屋にて臘八接心行。
昭和一一年 一九三六年 五二歳
     一月・ラジギール開教に着手。五月・満州国蓋平城道場開堂。八月・ラジギール道場開堂。
昭和一二年 一九三七年 五三歳
     四月・別府市実相寺山道場開道。七月・満州国桂木斯道場開堂・九月・同国錦州道場開堂。
昭和一三年 一九三八年 五四歳
     三月・戦争拡大を憂い、西天より帰国し、身延山祖廟参拝。六月・阿蘇道場に掛錫。八月・板垣征四郎陸相、米内光政海相に仏舎利を贈り、平和政策を進言。九月・新京の植田関東軍司令官、北京の寺内北支派遣軍総司令官、南京の畑中支派遣軍司令官に仏舎利を贈る。十一月・南京古林寺道場海堂。十二月・中支蕪湖道場開堂。
昭和一四年 一九三九年 五五歳
     一月・上海より台北に渡る。武昌道場開堂。二月・台北の牛島台湾軍司令官、広東の磯谷南支派遣軍司令官に仏舎利を贈る。六榕の寺華塔の最上層に仏舎利奉安。広東道場開堂。三月・花岡山道場に帰山。四月・吉野山道場開堂。五月・近衛文麿公に仏舎利を贈る。十月二五日、恩師足立日瑩猊下遷化。那須に掛錫。
昭和15年 一九四〇年 五六歳
     四月・橿原道場開堂。那須大宝塔開眼。六月・大連に赴き、南京を巡錫。満州国沙河口新道場、内蒙古張家口道場開堂。十一月・満州国安東道場開堂。十二月・張景恵満州国国務総理が発願主となり新京に仏舎利塔、万霊供養塔建立の準備開始。
昭和十六年 一九四一年 五七歳
     一月・新京仏舎利塔、万霊供養塔建立奉賛会発足。四月・姫路道場開堂。五月・新京南湖畔仏光領で仏舎利塔定礎式を行なう。九月・安東協和会館にて立正安国論の四経の明文を獅子吼す。後・京城経由帰国。「天鼓」発禁。
昭和一七年 一九四二年 五八歳
     三月・伊豆長岡道場にて、惟神思想の誤りを糺し、法華経の使命観を解く「習学会」を行なう。四月・参謀本部の要請に応じ、赤坂山王ホテルにてインド工作担当の岩畔豪雄大佐を折伏。十二月・満州国新京万霊供養塔落慶。東京・渋谷道場開堂。
昭和一八年 一九四三年 五九歳
     十一月・阿蘇道場開堂。この年、香港仏舎利塔宝土地鎮祭。

昭和一九年 一九四四年 六十歳
     十月・南京紫金山の革命烈士記念塔に仏舎利奉安。昭和一七年より一九年の間、国内及びアジア各地を巡錫し、戦争早期終結、平和促進を祈り、友邦との間の恩憎を解脱せしめんため強諫直諫し、撃鼓宣令。一九年には身延山奥の院にて長期断食行を行い、戦争終結を祈願する。
昭和二十年 一九四五年 六十一歳
     四月・北京玉泉山宝塔の仏舎利を王揖唐委員長に付属す。7月・朝鮮鉄原子にて米軍機の機銃操射により眉間に被弾。八月十五日、朝鮮金剛山道場にて敗戦亡国を迎える。九月四日・帰国。阿蘇山に入山。平和日本再建祈念行を行ず。十二月八日・花岡山に平和日本の象徴たる仏舎利塔建立を発願。
昭和二十一年 一九四六年 六二歳
     四月・法華経及び十七条憲法を中心に鎮護国家の正法「日本の仏法」を竹田宮に進講。十二月・「天鼓」復刊される。
昭和二十二年 一九四七年  六十三歳
     一月・佐賀市公会堂にて、戦犯処刑に関しマッカーサー元帥を聖書の明文をもって折伏。三月・中山妙宗より大僧正の僧階授与さる。四月・清澄山旭が森道場開堂。五月・松本市里山辺道場開堂。九月・花岡山仏舎利塔宝土地鎮祭。十月・日本橋道場開堂。十一月・阿蘇、山鹿の宝塔開眼。
昭和二十四年 一九四八年 六十四歳 
     一月三十日、デリーにてマハトマ・ガンヂー殉難。二月・熱海仏舎利塔宝土地鎮祭。四月・北京において深沢行世師を通じ、蒋介石総統に仏舎利を贈る。五月・秋田県奥羽道場開堂。
昭和二十四年 一九四九年 六十五歳
     一月・佐賀道場、豊前市八屋道場、大分県下ノ江道場開堂。その後阿蘇及び花岡山道場に卦錫。花岡山宝土を自ら鍬を取って整地に励む。
昭和二十五年 一九五〇年 六十六歳
     国内各地を巡錫。平和日本の再建を説き、平和憲法の非武装・不殺生の精神を顕揚。各地に仏舎利塔建立を慫慂。
三月・潮来・博多箱崎・八代・川尻の各道場開堂。五月・新潟道場開堂。新潟市公会堂にて平和理念を獅子吼。七月・旭川にて日蓮宗布教師のために「第三次世界大戦」と題し説法。八月・釧路にて六十六歳の誕生会。十月・東京馬込道場、横浜市鶴見道場開堂。十一月・横浜市戸ヶ谷道場開堂。釧路市署にて「平和国家建設」を説法。
昭和二十六年 一九五一年 六十七歳
     一月・神戸市大倉山仏教会館にて「第三次世界大戦」の危機を説く。大阪弁護士会館にて「我此土安穏」と題し説法。宗教者を糾合し平和憲法擁護の署名運動を起す。四月・臼杵紫雲山満月寺復興開堂。福井市足羽山仏舎利塔宝土地鎮祭。美浜道場開堂。五月・長野道場開堂。七月・秋田道場開堂。九月・インド、ビルラ財閥より聖象が花岡山におくられる。十月・分裂後の社会党左派の鈴木茂三朗氏を教導。朝鮮戦争に対し、新橋駅前広場にて三日間の断食平和祈念。アメリカ合衆国との講和に安保条約が含まれていることから平和運動を興す。
昭和二十七年 一九五二年 六十八歳
     四月・千葉県清澄道場にて日蓮大聖人開宗七百年法要。五月・半蔵門道場にてメーデー平和祈念断食。六月・釧路仏舎利塔宝土地鎮祭。七月・小樽道場開堂。
昭和二十八年 一九五三年 六十九歳
     一月・熊本市街頭にて断食平和祈念。綾部、舞鶴両市にて説法。七月・インド首相ジャワハルラール・ネルーより仏舎利10粒感得。

昭和二十九年 一九五四年 七十歳
     三月・「世界平和者東京会議」を開催。同会議にてビキニ環礁水爆実験抗議の{東京アピール}を宣言。四月八日、平和日本第一塔、花岡山仏舎利塔落慶。その後「第2回世界平和者日本会議」を開催。八月六日、伊豆長岡・山田屋にて古希誕生会。十月・神戸道場開堂。十一月・建仁寺竹田益州禅師と共にスリランカー、インドに巡錫。
昭和三十年 一九五五年 七十一歳
     二月・ラジギ―ル道場に挂錫。三月・帰国。六月・福井道場開堂。八月・第一回原水爆禁止世界大会に参加。九月・花岡山新本堂落慶。
昭和三十一年 一九五六年 七十二歳
     二月・インド政府主催の「佛紀二五〇〇年祭」に参列し、インド大統領ラジェンドラ・プラサード閣下に日蓮大聖人ご真筆大曼荼羅を贈る。ボンベイ道場開堂。ジャワハルラール・ネルー首相の指名により「ラジギール復興委員会」委員となる。十月・砂川闘争にて小此木行治師法難。十一月・「 佛紀二五〇〇年祭仏教徒大会」参加のためネパール、カトマンズに赴く。
昭和三十二年 一九五七年 七十三歳
     一月・スリランカー国主催「佛紀二五〇〇年祭」に列席。二月・ラジギール・多宝山仏舎利塔宝土地鎮祭。三月・帰国。六月・コロンボの「世界平和大会」に参加。その後中国各地巡錫。七月・帰国。八月・甲府愛宕山仏舎利塔宝土地鎮祭。十月・東京にてネルー首相と会見。首相、東京仏舎利塔礎石に染筆。
昭和三十三年 一九五八年 七十四歳
     三月・熊本県本渡市公会堂にて「世界平和と宗教」と題し説法。五月・舞鶴新道場開堂。七月・吉原市にサルボダヤ妙法塾開塾。八月・岐阜県飛騨坂上仏舎利塔宝土地鎮祭。九月・塩釜道場、東京多摩道場開堂。寝屋川市大八園仏 舎利塔宝土地鎮祭及び道場開堂。十月・社団法人日印サルボダヤ友好会を設立、 初代会長となる。砂川玄題宝塔開眼。
昭和三十四年 一九五九年 七十五歳
     四月「釈尊二五〇〇年祭典」(京都)参列。六月・「広島向け五〇〇〇Km平和行進」東京・新潟より出発。八月・広島旧本堂落慶。釧路仏舎利塔、札幌仏舎利塔落慶。九月・日光道場、塩原道場開堂。
昭和三十五年 一九六〇年 七十六歳
     四月・姫路仏舎利塔落慶。五月・日蓮大聖人様伊豆法難七百周年法要。六月・阿蘇仙酔峡仏舎利塔宝土地鎮祭。八月・西天開教三〇周年を身延山祖廟に奉告。御殿場富士仏舎利塔宝土地鎮祭。九月・大阪道場開堂。十月・石川県鶴来仏舎利塔宝土地鎮祭。
昭和三十六年 一九六一年  七十七歳
      二月・鎌倉山道場開堂。熱海仏舎利塔落慶。「不殺生戒」を日本テレビで放映。三月・九段道場開堂。東京・共立講堂において、七面山仏舎利塔建立のための仏舎利を、身延山法主藤井日静猊下に付属す。千葉県上総道場開堂。七月・第一回「世界宗教者平和会議」(京都)に参加。八月・飛騨坂上仏舎利塔落慶。東京台東文化会館にて喜寿誕生会。九月・仙酔狭道場道場開堂。十月・豊橋道場開堂。吉原にサルボダヤ新塾落成。

昭和三十七年 一九六二年  七十八歳
     一月・日印サルボダヤ友好会機関紙「サルボダヤ」発刊。二月・行阿院日蘇大法尼三十三回忌法要を熱海仏舎利塔道場で厳修。「広島ーアウシュビッツ平和行進」出発。六月・ニューデリーの「核武装反対会議」に参加。ラージギル仏舎利塔建立に関し、ネルー首相に協力を要請する。八月・岐阜道場開堂。坂上仏舎利塔落慶。十月・若松仏舎利塔落慶。
昭和三十八年 一九六三年 七十九歳
      二月・中印国境前線を巡錫し、ネルー首相に中印不戦を説く。五月・ソビエト連邦巡錫。六月・中国を巡錫。八月・広島・長崎平和集会参加。九月・新津道場開堂。十月・寝川大八園仏舎利塔落慶。国府台新道場開堂。十一月・熊本県より近代文化功労賞を受賞。