是無智比丘

是無智比丘

たとひ小分の法門を心得たりとも、法門を知りたげに問わざる人に妄りに法門を語るべきではない。又たとひ法門を問う人にても、正しき方法に由らず、徒に法門を戯論して闘諍言訟して、瞋恚を起こす者の為には、法門を答へてはいけない。又法門を聞いて歓喜せざる者の為にも、法門を説くべきではない。秘要の法と称せらるる所以は、徒に法門を説かない事である。

末代の凡夫、特に見濁熾(さかん)なる者の為には、法門を説くことは総て利益が無い。但だ南無妙法蓮華経と唱えて礼拝し去るべきである。増上慢心の暴論・暴動・暴力に対しては、避け走り遠く逃げ去って対座せない事が、寧ろ賢明である。但だ礼拝して南無妙法蓮華経と唱えて彼等を避け遠くへ遁れ去れば、増上慢の四衆は、必ず是無智比丘と罵って軽賤するであろう。過去威音王如来の末法に不軽菩薩は、上慢の比丘等に是無智比丘と罵られた。

「日蓮等の類も亦、増上慢の比丘等の為に是無智比丘と罵らるる」と御義口伝に説かれた。我等も是無智比丘と罵らるる事は、是等の先聖の跡を践む所以にして、決して恥ずべき事ではない。是無智比丘と罵られず、智者学匠の身となり、法門知りたげに振る舞う人こそ、真に日蓮大聖人の弟子として恥ずべき事である。

                                                                         昭和三十年七月二一日 不識者

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