藤井日達上人
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修行

 
 元来困難の鍛錬をすべき仏者の行脚の中に但だ偏に身体の安楽を求むることなれば其の矛盾の為に到底頼もしからぬことになりぬべく候、金銭本位の旅客が減少したる後には、佛蹟は零落するより外に其の往くべき道はなかるべく候、苟も仏法復興の志有らん者は先ず行脚の生活を楽しまざるべからず、行脚の生活を楽しむ事を得ば、十方世界に遊化自在を得べく候、御草庵の経営も行脚の生活の一日にして、佛蹟の復興も、亦、行脚の生活の一日にて候、行住ともに唯行脚の生活となり了らば生涯雲水の軽きが如く、漸く出世間の趣を得るべく候。
   昭和八年正月九日 コロンボ

立正安国論の宝策

【松谷磐殿へ】 昭和六年六月九日
さきに百三十留比、今度五十円、倶に今度の道場創立の経費にあて奉る可く候、
併し今度は金銭の御供養は絶対に御断り申し上げ候。内地も格道場の経営未完成に候間、それぞれそちらへ御使用被下度候。
拙子は渡天以来約半歳数千里の旅行を致し候へども、費用として消費したる金額は猶百円には上がらぬことに候、況や道場も出来、信徒の外護もあるようになれば、たとへ信徒の外護なくとも拙子の生命は一日四、五銭もうあれば十分に支え申し候段確実に体験致候。
1ヶ年に二,三十円もあれば印度にての生命は安楽に候、少子一生何等の芸も無之候、但だ不思議として、乞食乃至乞食以下の生活を恥ずることも無く、結局楽しく思い候ことが、せめてもの手柄にて候、
金が多ければ煩ひのみありて、面白からず候。仏法の弘通は金には由らぬ事明了に信受仕候、
或いは旅費と申し、或いは本堂建立と申し、何と申し兎角に金を要する徒弟は、日本山には到底居住すべき人にては無之候、内地にて余裕の金のある人は飯なき人、宿なき人達に御供養され度候。日本山の命脈も乞食の続く間にて候。
―――――――中略―――――――
天地宇宙を自己の身体とし、心とし、相だとした絶対の真理より建立された正法なのであります。此の真理を自己の肉体の上に、社会の上に、国土の上に応用し活動せしむることを立正安国論の宝策と名付くるのであります。

黄金崇拝の迷信

【トインビー教授への書翰】 1975年3月
 経済発展至上主義は、人間の生活資料たる衣食住其の他の開発から飛躍して、貨幣蓄積事業と変容しました。是に於いて黄金崇拝と云う宗教的信念となって人間最高神聖なる行為の如く誤って認められました。
人間生活の所有る方面が総じて黄金によって価値ずけられ、黄金によって売買されない物は無くなりました、黄金の無限蓄積が現代の災害であります。
戦争と云う大規模の殺人破壊の罪悪さえも、其の国家が莫大の利益を得んが為には何時でも公然と何処の国に対しても勝手に行われつつあります。
戦争に必要なる軍備増強も軍需産業も亦黄金崇拝の迷信から一部の大企業家が起こすものであります。

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