藤井日達上人
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撃鼓唱題

撃鼓唱題

日本の仏法・摩訶耶奈の特色は、朝夕三帰五戒を唱うる事ではなくて、其の代わりに行住坐臥に南無妙法蓮華経と口に唱える事である。大小乗倶に、三帰五戒は仏道に入る最初の規定である事に異見は無い。日本の仏法は三帰五戒を否定する者でもなく、無要視する者でもない。唯だ三帰五戒をパーリ語を以て唱えないだけである。別に大乗甚深の義に依って三帰の文を制定して、仏法僧に帰依する事を教えておる。五戒の文に代えるに南無妙法蓮華経と唱える。南無妙法蓮華経は教主釈尊の因行果徳を具足し、不殺生戎の功徳を文辞化したものである。仏滅二千五百年の時代の別文は、則ち南無妙法蓮華経の五字七字である。常在霊鷲山の釈尊の寿命無量は、大乗甚深の義に由る不殺生戎の功徳である。

     昭和三十二年三月一日「仏滅二千五百年」

奴隷

奴隷

天地顛倒は末法の姿である。「顛倒の衆生をして近しと雖も而も見ざらしむ」と説かれて有るが故に、真実の救済主たる宗教的教主を見失って、本来市場の交換手段に過ぎなかった貨幣を以て地上の神と崇め、却って金銭が人間を支配するかの如き顛倒現象を生じ、結局金融資本主義の段階に至って、個人も国家も世界も金銭に縛られて自由を失う。日本国が米国に追随せざる所以も、此の金融資本の束縛を被ったが為である。勤労者は機械の奴隷となり、資本家は利潤追求の奴隷となった。文明社会は総て奴隷となった。文明の甘き酒は、人間をして此の顛倒の酔狂を生ぜしめた、現代文明が正に毒発悶乱して大地に蜿転する時となった。此の解毒剤として教主釈尊が末法に留め置かれたる良薬が則ち南無妙法蓮華経の五字七字である。

法華経に曰く「是の好き良薬を今留めて在く、汝ら取って服すべし、差えじと憂うる事勿れ」。不殺生戎をも持たず、布施をも行ぜず、但南無妙法蓮華経と口に唱うる計りにて、いかでか我が身が仏とも成り、此の世界が浄土とも成る事が出来ようか。是は誰にでも当然起こる疑問である。此の疑問に対する解答は、但だ口に南無妙法蓮華経と唱うる事のみである。口に南無妙法蓮華経と唱えざる者には、耳に南無妙法蓮華経を聞かしむる事である。口を閉じて南無妙法蓮華経を唱えず、耳を塞いで南無妙法蓮華経を聞かざる者の為にも。大慈大悲懈倦(けげん)なく恒に南無妙法蓮華経を且つ唱え且つ聞かせねばならぬ。

     昭和三十一年八月 「原子力と人類の将来」

一天四海皆帰妙法

南無妙法蓮華経と唱えれえば、国土は平和になり、衆生が安穏になり、我が身が仏になるか。これは問題でありますが実現させねばならない。他に我々が今や、平和を作り、そして安穏な思いをする道は見出されません。科学を頼ってきて科学が生き詰まり、宗教を頼ってきて宗教がみな個人の胸の中の問題になる。天下をして、一天四海をして、等しく救い上げねばならない。平和を作り上げねばならない。このことを実現させるために、南無妙法蓮華経は、仏様が末法に、時代を限って残された法門だ、ということが日蓮大聖人の宗教であります。 初めに言葉があります。言葉は神とともにあります。その言葉がやがて、一切の人を救い上げる。これは(創世記)に予言せられた言葉であります。何が平和を本当に作り上げるか。一切の人を率いて平和に向かわしむる、その法が今、求められております。ここに日蓮大聖人の宗教が初めて現れてきました。ここで一切の仏教を統一して、世界平和を作らしめねばなりません。 1978年 10月17日 ワシントン道場お会式にて

南無妙法蓮華経は如来秘密神通力

問:法華経二十八品を読んでも南無妙法蓮華経は一語もないのですが、日蓮大聖人様が比叡山で勉強されて、清澄で南無妙法蓮華経と唱えられたのは、如来神力の力でしょうか、霊感なのでしょうか。 
御師匠様:自らお認めなさった、妙密上人御消息という御書がある、『然るに日蓮は、何れの宗の元祖にもあらず、又、末葉にもあらず、持戒、破戒にも闕けて、無戒の僧、有智、無智にもはずれたる、牛羊の如くなる者也、何にしてか申し初めけん、上行菩薩の出現して、広めさせ給うべき妙法蓮華経の五字を先立て、ねごとの様に、心にもあらず、南無妙法蓮華経と申し始めて候ひし程に、唱ふる也、所詮よき事にや候らん、又、悪しき事にや侍るらん、我も知らず、人もわきまえがたきか。』判教や解釈の結果御題目に到達されたのではない。ねごとの様に自分で唱えだした、どうした事か解らん、 
問:如来神通力ですね。 
御師匠様・・そうです、精神界の仕事は、不思議です、『如来の秘密』御祖師様が自らこう仰るのです、噓事は仰っていない、『いかにして申し初めけん、ねごとの様に南無妙法蓮華経と申し初めし程に唱うる。』・・・・・・・・只不思議として唱えておる、此の事が夢の様な事、自分の心にもあらず、何かうかうかとした夢見た様な気分で唱えておる、とおっしゃる、我々は知者学匠振ってはいけない、何も知らぬ、牛か馬、御祖師様がそうおっしゃる、何も知らない、その自己を忘れない様にしないと憍慢になって終う。
 昭和56年6月17日

立正安国

撃鼓宣令の妙行は、我不愛身命の誓願の外相的に顕示したる天の叢雲(むらくも)の御剣であります、内外不二、性相一如、願行相応して、南無妙法蓮華経の御題目は、能持此経され、能説此経されるのであります、言い換えてみれば、南無妙法蓮華経と唱えて、唱え死に死ぬ程ならば、それがただの一人であっても一天にみなぎる三災七難ですらも立所に終息せしめて、立正安国の素懐を達せずしてはやみません。末法万年広宣流布の大願も、ここからたちまち成就されます、謗法閻提五逆罪が衆生のためにも即身成仏の甘露の闇は開かれます。ともかくも人に憎まれるほどに南無妙法蓮華経を唱えねばなりません、刑罰に行われるまでに、大法の鼓を撃たねばなりません、日蓮大聖人様を初め奉りて、この御題目を弘めて、重い断罪に行はれさせ給うたのは、いたずらごとではありません、憶病なる末我の人々を五百由旬の宝渚に引導して正路を踏み迷わしめぬように照らし出された八咫(やた)の御鏡であります。

本来の使命

【本来の使命】
予が如き無力の者、たといインドに渡っても乃至一人を教化して南無妙法蓮華経と唱えしむることさえも覚束ないと会う人毎にそういわれ、予も然るべしと覚悟を決めた、然しながら高祖大聖人人も『日蓮一人南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経と声も惜しまず唱うるなり』と仰せられた、予もまた一人南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経と声も惜しまず唱えることだけに身命をかけたならば、たといインドに於いても英国に於いても不可能な筈はない。

世界人類最後の救い

【見宝塔】 仏足山
私の信じて来た道がおそらく世界全部に広宣流布する見通しがつきます。此れより他に世界人類を救う教えはない、これが日蓮大聖人様の末法出現の使命であります。これを七百年後の今日、私達は再びこの人間界の危機を救う為に御題目を世界に唱える事になりました。この一言の妙法、これのみが世界人類最後の救い、この良き薬を今留めてここにおく、仏様のお慈悲であります。汝等取って服すべし、差えじと憂うること勿れ。必ず治る、必ず治る、この世界の大悪を鎮める事ができます。

人間の建て直し

法話 天鼓 昭和六十年 二月号
闇が光を嫌うが如く、病が栄養を受け付けないが如く、悪世の衆生は、成仏の正法を信受しない。悪世の衆生は心の歓喜、平和は持たない代わりに憎悪心、憤激心、猜疑心などからあ生ずる大瞋恚心を持つ、大瞋恚心の社会に爆発せるものが階級闘争であり、世界戦争である。此の瞋恚心は衆生心中の奥底から起こる。即ち心から憎むのである。此の大瞋恚心をおこさせるのに、物質や宣伝を以ってせず。但だ南無妙法連華経の正法を以ってする。衆生の心の固い殻を破るから折伏とも云う。衆生がこれを喜び受け取らないところから而強毒之とも云う。これを八識心田の下種と云う。蒔かれた種は必ず生える。此の衆生も南無妙法連華経によって成仏すべき時が来る、即ち人間の建て直しである。

如来の秘密神通力の総合積集

【日本の仏法】
 南無妙法蓮華経の五字七字は一往妙法蓮華経と題する経巻の題目とも言われます。併しながらそんなものではありません。如来の一切の所有の法、如来の一切の自在神力、如来の一切秘要の蔵、如来の一切の甚深の事を、皆この南無妙法蓮華経の五字七字の中に宣示顕説すと法華経の如来神力品に説かれました。
南無妙法蓮華経は如来の秘密神通力の総合積集であります。

太鼓とお題目

              【御祈念】  昭和五年六月
 歓喜、讃嘆、勇健、簡単等の特質を考える時、百千の伎楽の中で太鼓に比すべき楽器はありますまい。功徳といい、破邪といい、祈念といい、易行といい、歴史的伝来といい、信仰的流通といい、法華経のお題目に比すべき神呪、宣言、標語はありますまい。

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