藤井日達上人
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インドは全暴力を却くべきである。

インドは全暴力を却くべきである。
カカサーブに答うる書  (昭和四十年十二月一日)
南無妙法蓮華経 去る十月朔日記の御手紙、今井氏帰朝の便に托して贈り給わりました。忝く拝見いたしました。
私が平素、印度の国に対して期待している点から、印度の最近の状勢を憂うる余り、筆を執って、先生の御一覧を煩わしました。然るに私の言う所が、全く理解できないとて、今度、叱正を被りました。そこで、さらに私は、是非に先生に理解していただきたいと希う心から、また重ねて筆を執って、ご不審にお答えいたします。
御文に曰く「一、印度政府は軍隊を組織しております。世界中のどこの国でも、軍事力によって、国土を防衛する権利を認めております。インド政府もまた、これを認めております。」
答えて曰く、近代国家の発生以来、人類の苦難は、戦争によって圧倒的になりました。戦争は国土防衛、その他の理由により軍隊によって行われています。
日本国ごときも、平和憲法を制定しておりながら、国土防衛のための名目をもって、軍事力を持つことを自他ともに許しております。しかしながら、日本国の平和は自衛隊と称する軍隊によって保障されておるのではなくして、反対に、戦争を憎しみ、軍隊を嫌う国民の平和的信念によって持たれております。
それ故に、政府は昼夜、軍人募集に狂奔しておるにもかかわらず、いつも軍隊は大勢の欠員を生じております。
米ソをはじめ世界の人々は「一切の戦争を廃止せんがために、一切の軍備を廃止せねばならぬ」と言うことを論議し始めました。
いわゆる軍縮会議が提案されております。印度が一片の武器をも持たずして、独立自治の政治革命を達成せしことを、全世界の人々は驚くべき興味をもって注視しました。
世界の人々は、恐るべき戦争の呪いから救われたいと望みながら、しかも、その救われる道を知らないのが、現代の悲劇であります。そこで世界の人々は、印度の非暴力による独立自治の運動の成功が、すなわち、世界平和のための輝かしき光明と、弑虐の地獄からの救済の唯一の方法であることを感じました。
これによって、第二次大戦終了後の印度の平和外交は、アジア・アフリカ諸国民族を蘇生せしむるのみならず、世界を風靡しました。

ガンジー翁はかって「私は印度が非暴力の福音を人類に告ぐることこそ、印度の使命であるという、揺ぎない信念を持っている。その発展には長い年月を要することであろう。しかし、私の判断する限りにおいては、他のいずれの国といえども、印度に先んじて非暴力の福音を人類に告ぐる国はないと思う」と断言しました。
私も印度の尊き使命を、此の如く信ずるが故に、印度が軍備を持ち、軍事力によって、国際紛争を処理せんと欲する政策を悲しむ者であります。
ガンジー翁の【試練の時】に曰く「私は、印度は自国の境界を護らんがためでさえ、全暴力を却くべきであるという信念を表明せねばならぬ。印度が軍備競争に入ることは自殺行為である。印度が非暴力を失えば、それで世界の希望が失われてしまう
御手紙に曰く「印度人は皆、ガンジー翁を尊敬しておりながら、全部の人々が皆、ガンジー翁の非暴力を肯定しておるわけではありません。」
答えて曰く、ガンジー翁も、かって言われました。「印度は自国内に、非常に多くの好戦的民族を有するから、彼等は敢然と戦うことを望むであろう。これは全く本当である」私も先年、印度各地、特にパンジャーブ州を巡って「敢然と戦う」という議論を数々聞きました。
日本国も第二次世界大戦終了までは、全国民が好戦民族であるかのごとく、自他ともに眺めておりました。然るに、日本国民が聖戦と称して、多年、他国と戦争し、敗戦降伏するにいたって、初めて戦争の本質が罪悪であり、悲歎であることを知って、翻然として、平和民族と変化いたしました。平和の指導標として、全国に五十余基の御仏舎利塔を建立しつつあることは、正に平和国家の象徴であります。
印度も一部の交戦論者に引きずられて、軍備防衛を肯定することは、印度の自殺行為であります。ガンジー翁の偉業を壊滅さする所以であります。私は印度が軍事行動によって、外交問題を解決せんとすることを歎く者であります。
一、中国に対するご質問「中国の地図には、印度領土を勝手に中国領土であると発表する」
答えて曰く、印度が領土権を主張する所にも根拠がありましょう。中国が、またその地図に、領土権を主張する所にも根拠がありましょう。それは、中印両国の政府間の話し合いで解決すべきものであり、両国の軍事行動によって解決すべきものでないと信じます。
また御不審に曰く、「中国の要求するがままに、領土を与えるならば、その次tあ悪いことと考えます。したがって、その対策は立つる必要がありません。しかしながら、多くの印度人は、中国に対して、此の如き不信と恐怖とを懐いておられるであろうと察します。これに対する解答は、すでにガンジー翁が提案されてあります。すなわち【英国人に訴うる書】は、それが解答であります。
貴方達や、人類を救うためには、その持っている武器は、無用の物として捨て去ることを希望する。あなたたちの所有に帰している国々を、欲しがっておるヒットラーやムッソリーニを招き入れなさい。たくさんの美しい建物のある、美しい国を与えてしまいなさい。あなたたちの魂と命のほかは、すべてを与えてしまいなさい。」
私はガンジー翁のこの訴えを今、印度の人々に訴えんとする者ではありません。それは、中国もパキスタンも、こんなことを要求せないからであります。しかしながら視野を拡大して、世界から戦争を排除し、国家から軍備を廃止せんがためには、結局、此の如き覚悟をも、また必要であります。
また曰く「他国の侵略に対しては、自己防衛のために戦うことが、当然の義務である。」軍人は、自己の職業たる戦争たる戦争を正当化せんがために、種々の理由をつけております。
「自衛」も「国防」も「正義」も「平和」も「友愛」も皆、戦争行為の理由としております。現在、世界の人々から侵略者として、非難の的となっておるアメリカの越南(ベトナム)戦争でさえも、これから「正義」「平和」などと、多くの理由のために、やむをえず戦っておると申しております。
私が、印度の人々に対して、戦争行動の停止を呼びかける所以は、印度が貧弱なるが故にとか、また印度が敗戦するが故にとか、という意味ではありません。戦争という行動が本質的に罪悪であり、戦争の結果は何らの解決をももたらさないものなることを、私が体験せしが故に、その停止を訴える所以であります。
何の怨恨もなく、何の罪悪を犯さない人間同志が、相互に殺傷し、残害する戦争を、正当化する理由は、どこにもありません。特に今日、行われつつある非人間的な爆弾、毒ガス、細菌戦争等々、いかにしても、こえを「正義」と呼び、「平和」と呼び得るはずはありません。戦争行動において、勝たんがためには、敵が野蛮にして、醜悪なる戦争手段を用うる時には、さらに我もまた、これに勝る残虐手段を採用せなければ勝てません。
戦争手段の残虐から残虐へと、大量殺人から大量殺人へと、驀進する結果が、原水爆の出現となり、人類全滅の呪詛となりました。人類絶滅の恐怖も、その最初は「自衛」「国防」「正義」「平和」のためと言って、国家が武器を採用したという、唯だこの一事であります。


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アヒンサ

アヒンサ 3 (昭和三十八年頃)
中印国境紛争についてこれを案ずるに、中共は元来殺人破壊を前提として社会革命を遂行せんとする唯物主義の暴力的国家である。インドは元来非暴力を前提として政治革命を達成せる道徳的平和国家である。
すなわち平和の手段をもって平和の目的を達せし革命歴史上空前の平和国家である。
かくのごとく建国の基礎を異にする中印両国の紛争は、暴力と非暴力との対決であり、殺人と不殺生とのトーナメント(競技)である。
「諸君が、外国の侵略に対するには武器を採るより他に方便はないと考えたり、または日々起こる騒擾・暴動・反目の鎮定には、武器なくしては不可能であると考えるならば、それは誤解も甚だしいものである。
組織だった非武装の抵抗は、深夜家宅に侵入せる盗賊に対するよりも、容易に処置ができ、それが最高の形式のアヒンサと呼ぶに相応しいものである」
「外国の侵入に対して、インドは防衛力を持っていないという者がある。私は彼らが非暴力を信じぜざることを知って落胆した。非武装のインド民族がこの広い分野において、非暴力運動に集結することが、インドを護る唯一の武器であると信ずるものである」
「インドの好戦的な人々はどうであろうか、と不信に思う。私はそれゆえにこそ、会議派の人々が祖国を防衛する為に努力すべきことは、シャンティ・セーナの結集であるという。これは全然新しい防衛の試みである。会議派の他に誰がそれをなし得ようか。会議派は一つの分野において成功した。もしわれわれが非暴力部隊を充分に訓練していたならば、この新しい分野において成功することも。また確実である。」
「問一、強力な独立国家インドは、自己保存の手段としてサッティヤグラハを国の手段として採用する時に、インドは他の独立国家によって、あるいは侵入されるかもしれない。そのとき、いかにして自国を防衛するでしょうか。辺境において侵入軍勢に対抗すべくサッティヤグラハ的行動形式はどんなものでしょうか。あるいはサッティヤグラハ運動者達は敵手が国を占領してしまうまで、行動を差し控えるでしょうか。
答。私は国家は人民の大部分が非暴力であれば、非暴力を基礎として管理され得ると信じる。インドはそんな国家になる可能性を有する、広い世界の中において唯一の国である。
インドが純粋の非暴力を通じて独立すると仮定すれば、インドは同じ手段によってそれを保持することが出来るであろう。もし最悪の事が起これば、非暴力には二つの道が開かれている。第1の道は所有物を譲渡する、しかし侵入者と協同しない。
このようにネロの現代版がインドに下れば、インド国家の代表者たちは彼を侵入させはするが、人民の援助は何も得られないぞというだろう。人民は服従よりもむしろ死を選ぶであろう。
第2の道は、非暴力的方法を訓練されてきた人々による非暴力的抵抗であろう。彼等は侵入者の大砲の前に糧秣(りょうまつ)として非武装で我が身を差し出すだろう。
両方の場合、その根底にある確信は、ネロといえども全く慈悲心がないとは考えないということである。男女みな侵略者の意思に身を保全するよりは、天真に死んでいく。その思いがけない、後から後からと続く光景を見ては、その侵入者の兵士といえども心を和らげるに違いない。実際的に言えば、この場合、武力抵抗するよりも人的損害が恐らくは少ないであろう。
軍備要塞の支出は全然ない。人民がかく訓練された時、その道徳的水準は想像もおよばぬほど増すであろう。その男女たちは武力戦争において示されるものよりは、はるかに優れた種類の勇敢さを示すだろう。どの場合にも、勇敢さは他人を殺すことにあらずして、自己が死に赴くということである。
アヒンサという法則は、国境や国土を防衛する法則ではない。アヒンサ(非暴力)という法則は、人類の生命を守る法則である。近くは国民の生命を守り。広く世界人類の生命を守る法則である。」
「私は貴方たちが敗北したからいうのではなく、戦争なるものが本質的に邪悪なるがゆえに、戦争停止を訴えるものである。貴方たちは戦争に勝つことではない。なぜなら貴方たちは、ナチスよりもさらに冷酷にならなければならないから。
いかに正義のためとないえ、昼夜間断なき無差別の殺人破壊は、決して正当化されるものではない。今日行われている非人間的な戦争を、正義と呼び得るはずはない。私は英国が負けることを希望もしていない。貴方たちが、ナチスとその醜い戦争を行うことを望まない。私は貴方たちに最も勇敢なる兵士に相応しく、より気高く、より勇敢な道を示したいと思う。
私は貴方たちが非武装にして、非暴力の武器をもってナチスと戦われんことを望む。貴方たち自身、ないし人類を救わんがためには、その手にしておる一切の武器を、全然不要のものとして放棄せられんことを希望する。
貴方たちの国家を略奪せんとしておるヒットラーやムッソリーニを招きいれ、その沢山の美しい建物の建っておる美しい国を、彼らに与えてしまいなさい。
もしナチスが貴方達の家に住みたいというなら、その家を明け渡しなさい。
また、われわれよりもずっと賢明なる貴方達は、このアヒンサという比類なき新しき武器をもって、ドイツやイタリアの友人に対する方針とせられたならば、実際、過去数ヶ月の欧州の歴史は異なったものとなったであろう。欧州には無辜の人々の血と、小国に対する暴行と、増悪とは、なくてすんだであろう」
以上は、第二次大戦の初めにマハトマ・ガンジー翁が英国に訴えた言葉である。今日、私はこの言葉を挙げて、インドの諸君に訴えたいと思う。もしこの言葉が中印国境紛争解決に利益することがあれば、私の本望である。
     (昭和三十八年頃)

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