藤井日達上人

怨敵関係を結ばず

【大道】 昭和二十一年
 肉食動物の猛獣猛禽が日を遂ふて減少し、其等種族が滅亡の運命を辿りつつあるに反して、草食動物が漸次繁栄しつつある。草食動物は動物に対して怨敵関係を結ばないから自己も安全なる想いに住する事を得る。易経に「積善の家に余慶有り、不積善の家に余殃有り」と説くのも此の現象である。

西天開教日誌

 徒弟来る八日の開粥に桃の缶詰を買わんという、予曰く、断食修行は、深山幽谷、或いは、懸崖、飛瀑、人煙絶えたる所にてつとめ来りしが、いつしか堂内となり、中日の梅湯となり、寝たるに床に伏し、寒さには暖房す、修行完了すれば、一切の不味悉く変じて、好味となる、一適の水に八功徳を識り、一飯の米に三徳を獲るなるべし。妄りに銭を散じて好味を求むること顛倒の増長なるべし、修行も結句、修行せざらんに如し。
中略
男子と生まれ出家となり、日蓮大聖人の御弟子となって、果報無上の身を持ちながらも神昏暗鈍、十軍魔王に障えられて、正法光顕の力量もなく、過ぎし一生の屍の捨て所を探して、今日此の所に参りました。
中略
もし私にして、この法滅の現場に直面したならば、みずから死を急ぐよりほかにどの道もとらなかったでしょう。
中略
インド内地の事情に精通することが、肝要であります、俸給か手当か、旅費か、それぞれ準備された範囲でインド旅行をすることは何の奇特も有りそうにも思えませぬ。いわゆる名誉の一等国民が徒らに漫遊したというだけに過ぎませぬ。
一管の竹をたよりに五天竺をうろうろしている人の胸の中に何が潜んでおりましょうか。私は日本の将来のため何の職業でもなく、何の事務でもなく、何所から金銭を貰うのでもなくして、万国を放浪する青年の輩出を希望して止みません。金銭をやよりにして動いている者は、金銭以上の何事も為し得ないのであります。
中略 
旅は忍辱の修行の道場であります。
中略
釈迦牟尼佛は菩提樹下で成道され衆生教化の旅に出られます。最初に誰を教化すべきか、、、、、愛想をつかして幣れわらじのように、ふり捨てた五人の人達の跡を追って愛想つかされた釈迦牟尼佛は請待も受けないのに、みずから進んで五比丘の許へ訪ねておいでになりました。大慈悲の前には、いかなる屈辱も忘れねばなりませぬ。

強盗の出家の弟子

【一閻浮提】
教主釈尊の御在世にも鴦掘摩羅〔オオツクマラ〕と申す外道は殺人狂にして舎衛国城頭此れが為に損傷せられたる者、将〔まさ〕に一千名に垂〔なんなん〕とす、その外強盗の出家の弟子もあり、漁夫の出家の弟子もありぬ、、、、、、、、、耶蘇の十二使徒の中にも漁夫もあり、姦賊もあり、反って学者と祭司の長とはなかりける由、彼の新約と称する経典の明文ならずや。

ただ人を救えばよい

【仏教と世界平和】
私らが娑婆に執着しておってはどうしょうもありません。みんな捨てて次の世に移って行きます。この功徳、その悪行,その貪欲、それだけがわが身についてまわります。きれいな心をもって、この一生を過ごしていく、これが出家の自由であります。寺におらんでもよい、だ人を救えばよい。皆様方とまたどこで会うかもしれません。娑婆の命は限りがあります。お互い縁があれば一日会います。縁がかけると一生会えません。みんなよい道を選んでください。

平和憲法を守る道

----- 平和憲法を守る道 -----昭和四十一年五月三日 於 九段道場

教主釈尊が此の国を安穏に衆生の生活を喜びと楽しみとに充たしめんがためにとて制定遊ばれし不殺生戒を、今こそ人類は挙て信じ受け持たねばならない時代が到来したというわけであります。
 いかなる理由にも拘泥せず、いかなる利害にも関係なく、ただ「人を殺さない」という宗教的信念のみが人類全滅を救う唯一の道であります。
  理想的な日本国憲法
五月三日、今日は憲法の発布されました記念日に当ります。
 この憲法は世界の現在の状態の中では、発布後のことはともかくも、最も理想的な平和をうたった憲法であります。
 現在、人類の恐れや、悲しい運命はみな戦争がもたらしております。
 それで、戦争をやめ、戦争権を放棄するという、こういう条項がこの憲法に定めてあります。これは実に世界のどこの国にも無い平和の憲法であります。これが現実の日本国において守られております。

 軍隊が戦争をするようになる。

日本国民がこの戦争をやめることに反対するわけでもなければ、それかといって、高い軍事費用を負担することを喜ぶわけもありません。ところが政治というもののからくりで、国民は税金をとにかく収めますと収めた税金は、政府の軍隊を作る方面に役立てております。現在の自衛隊がそうであります。
 この軍隊というものがあれば戦争をする道具でありますから、どうしても戦争をしないでおれません。軍隊が強ければ強いで戦争はしたくなれます。

 アメリカが今どこの国においても、アフリカ・アジア・ラテンアメリカの各地に戦争を起しておりますが、これはアメリカが陰になり表になり、金と武器とをやれば戦争は出来るものと考えてやっております。日本にもこの金と武器とを援助して、自衛隊というものを作らせました。

 軍隊は平和憲法の上からは作ってはならない

 陸海空軍はすべて持たないという憲法の建前でありましたけれども、それが、日本国の治安を自力で維持する上には差しつかえないという解釈をしまして、それで自衛隊をつくりました。
 作ってしまいますと、今度は今沖縄がアメリカのベトナム戦争の軍事基地になっておりますが、沖縄からアメリカはベトナムに兵隊を送ったり、弾薬を送ったりしております。その沖縄に日本の自衛隊を送るということを今の総理大臣は言い出しました。これはまことに危ないことであります。
 これでは規則を作っても憲法を作ってもこれを守らねば、何にもならない空文であります。

 印度の現状を見るに

 近来印度が第二次世界大戦の終わりに独立しましたが、独立する時に戦争をせずに独立いたしました。
 ガンディー翁は、印度が戦争をせずに独立しましたから、軍隊というものは、国家を治め、それから外国との交渉をする上には必要でないと、こういう意見を持って印度の国の将来を計画いたしましたが、ガンディー翁の亡くなりました後は思うようにいきません。軍隊が日日に増えるばかりでなく、次第とやはり近代的な装備をするようになりました。
 印度は独立早々でありますために、軍備に費用が食われると国民は非常に生活が困窮に陥りまして、あの広い場所で、豊かな土地と天気に恵まれておりますが、それでいて食べるお米が無くて、飢えて死ぬというような事態が起こり、それが一人や二人でなく、何十万という沢山の者が飢えて死ぬというようなことになりました。
 戦争は勝ちもせねば、負けたかも知れません。勝ってもたいしたところまで行きません。何の得るところもなくて国民はそのお蔭で飢えて死なねばならなくなります。
 こんなことで印度もガンディー翁の信ずるように、印度こそ世界人類の悲劇を救う国だと自ら言って、高い理想と信仰を持って指導いたしましたけれども、なかなかそうはいきません。

 日本の現状を見るに

 日本が戦後この平和憲法を作りまして、軍人というものは絶対にないはずでありましたが、いまや又軍人は、昔の軍隊よりも多くなりました。
 核兵器もやがて日本で製造するというようなことを言い出しております。
 武力によって国を守るという、この考えがあれば、どうしても世界各国皆それぞれに国民を守るために軍備を競います。競えば結局は戦争になります。
 このようなことで、日本も正に軍備によって再び戦争をしかねない姿になりました。それで平和の憲法が邪魔になりますから、憲法を改めようとしています。
 戦争をするように憲法を変えて行こうとしております。
 憲法を変えなくても、すでにもうここまで軍備を進めて来ましたが、さて戦争に踏み切るとなると、ちょっとやっぱり故障がありますから、それで憲法を変えて行こうとしております。

 戦争の被害者は誰か

 近代の戦争が沢山の人を殺します。戦争をしている軍人をことに殺すのでなく、戦いに関係のない一般の女・子供を殺すことが多くなりました。
 朝鮮戦争はごく最近の戦争でありますが、殺されたものの八割までは、何の罪もない女・子供であります。
 広島・長崎の悲劇を見ましても軍人が死んだのではなく、多くはみんな町の人が死んでおります。これからの戦争はすべて広島・長崎のような姿になってしまします。戦争をすればそうなります。それで、戦争をせないことが本当に国を守り、国を守る。財産を守る。国土を守る道であります。
 けれどもこれがどうも、よその国を疑い、よその国を恐れると、平和でじっとしておれません。
 やっぱりよその国から攻めて来たらどうするかと、そんな仮定を考え出しまして、それに対抗する準備を次々として行きます。

 トルストイの平和論

 近代、平和ということを言い出しましたのは、ソヴィエットのトルストイであります。
 私の子供の折りにこの人はまだ生きており、やがて亡くなりましたが、子供の折この人の書いたものが時々日本に翻訳されて来ておりましたので見ますと、やはり何とかして世界平和を作らねばいかないといって、この人たちが主唱して平和会議というものを世界的に開会しました。
 それでどこの国でもいろいろな関係があって軍備を全く捨てることは出来ないだろうといいます。これは現実みんな出来ない。
 それで出来ないとなれば軍備競争になって、生半可な軍備ではいけないので、やはりその国が攻めてきたならば、これに勝つだけの軍備を持たねばならんということになって、軍備競争になります。
 それでこの軍備はやむを得ないという中において、どこの国か敢然と軍備を廃止して、絶対戦争をせないという事を決議する国があったならば、それは世界人類への大きな恵み、恩恵だということを申しております。
 この戦争を放棄する、そういう国があれば、人類は今それを見習うことが出来ます。
 戦争を放棄するという国がこの世界に出現することを人類はまりこがれております。
でなければ人類は滅びてしまいます。私らは滅ぼされてしまいます。
 それでこれを印度が失敗し、日本国も全然軍備は持たない。戦争はしないという憲法までは作りましたけれども、やはり成り立ちません。

 日本国の使命を自覚して

 このようにまごまごしていると、そのうち人類の運命が愈々一挙に決定するという時が来ます。
 それは誰も人を滅ぼそうとすれば、今日自分も滅びねばなりません。この道理ははっきりしております。
 それ故に人類はうっかり戦争は出来ない。そのうちに小さな個人の意見でなくして、国家という一つの形態を持った平和が、全然武装を放棄して、軍備を持たない、そうして戦争はどんなことがあってもしない。
 それで国際的な問題の行きがかり上の紛争が起れば、それは根強く、根気よく話し合いで道理を立てて話し合おうという、こういう国が出来なければなりません。
 その国に日本は失敗してしまったとはいっておれません。やはり日本はそういう国として、世界平和の指導国となって立たねばならない運命にあるようであります。


 日本の優れた生活様式

 このことで一つ良いことは、日本国民の大部分が仏教の信者ではないけれども、仏教の古い伝統を持っており、お仏壇の無い家はほとんどないといってもよいのであります。これは先祖から伝わりましたまことによい生活様式であります。
 そのお仏壇、各家のお仏壇が又お寺というものに統一されて行きます。
 寺の信者とか檀家とか、これが日本国は宗教はいろいろありますが、仏教においてほとんど異議なく統一されております。
 この仏教の精神が現代本当にいかされるという時になりますれば、日本国程みんなの力を結束せしめて平和に立たしめ得る国は、他に無いようであります。

 ガンディー翁を倒したヒンズーの教え

 印度にしても、ガンディー翁が印度の中から非暴力というものを見い出して参りましたけれども、ヒンズー教の中にはやはり正しくないところがありますから、ガンディー翁を倒しました者もヒンズー教徒でありました。
仏教では極楽に行くとか、座禅をするという無理はありましても、仏教の教えに全然反対して行くことを喜ぶ宗派はありませんから、ここに仏教の本当の精神が現われますと、日本は世界平和の現代の要求を満たす国と思います。

平和憲法を何によって支えるか

 日本は平和憲法を作りましても信念がない。これが宗教的な信念によって支えられておらなければ、三百代言が屁理屈をつけるように、やはりその場で憲法の条文を壊してかかります。壊さなくても平気でこれをくぐり抜けるようにします。くぐり抜け得ないときには大袈裟にこれを改めて行くというような手段をとります。皆これは平和憲法の有り難いことを信じないからこうなります。

 聖徳太子の平和の憲法

 平和憲法を世界で始めて作りましたのは日本であります。
 聖徳太子が支那、今の中国から、法律制度を学ばれましたけれども、しかし聖徳太子は毅然として、憲法は僅か十七条の簡単なものでありましたけれども、「和を以て貴しと為す。」平和を第一条にうたい上げられております。世界のどこの国の憲法にもないことでありましょう。
 聖徳太子の作りました憲法の第一条は「平和というものを作らねばならない。争いということをしてはいけない」ということであります。
 けれどもそういう国家の大方針を作り上げるという上にはどのように導けばよいのかというので、第二条にこれをうけられまして「篤く三宝敬う」、三宝といえば当時はじめて日本に入った宗教でありますが、「仏法僧これなり」これを敬わねばいかない。
 この仏法僧を敬うことが平和をつくるという上に大切な教えであるから、およそ人類は万国どこへ行っても生きて行く者はこれに従って行くものであり、この教えは古今変らぬ教えだから、これを信じて行かねばならない。
 「篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧これなり」ここへ又私らは立ち帰らねばならない。
 日本の国柄はこれで治まって来ます。
 聖徳太子の作られた憲法は、今日まで武家がせいじをとってもほとんど、これを改める憲法は出来ておりません。何とか、かんとか政権を保つために、いろいろ形は変えますけれども、この聖徳太子の憲法を変えたり非難することは出来なかったのであります。

 平和の国民性が平和憲法を守る

 それは日本の国民がやはりこうした憲法を守り得るような、平和な民族であったからこそ、この憲法が出来て、これが守られたのであります。
 私らはここに立ち帰り、現在の憲法も現代的の守りましょうが、遠く聖徳太子の昔に帰り、
 平和よりほか国家の目的は無い、人類の目的は無い。
 争いをしないことより他平和を作る道は無い。
 争いの道具、平和の邪魔になるものは、こりは皆捨てねばならない。
 こういうことから私らの信念は、平和を保って行くところの憲法を守って行きます。
 これが宗教的信念になり、それで私らが、この娑婆世界をお浄土に変えて、死んでから三悪道に堕ちないように、永遠の生命の上に動かぬ信仰を持たねばならない。これより他に良い道はない。

 仏教の教えに従って

 人類の生きて行く道のみならず、一切の生きていく道は、平和に暮らすこと。これだけを仏法によって習い極めまして、仏教の教えによって習い極めて、現在の憲法を宗的な信念によって保たねばなりません。
南無妙法蓮華経と唱えてこの憲法を守ります。           合掌


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台北 花市

政治

政治とは現代文明の汚濁と危害との製造所であります、人類全般皆此の政治によって苦悩せしめられております、政治は人が汚しました、政治は人が浄めねばなりませぬ。

悪人成仏

【 陣太鼓 】 昭和三年十月  毒鼓 向山の太鼓について
 そもそも出征の勇士を送る太鼓の音響は実は一面にこんな良民の憤慨を喚起せんがために撃ったものだ。信仰することができなければ、むしろ憤慨していただきたいものです。憤慨したということは、一良民生の胸の中に瞋恚、怨嫉の煩悩の炎を勝手に燃やさせたというまでのことではあるが、しかしこの瞋恚、怨嫉の煩悩の炎を酒色や金銭財宝を対鏡として起こさずして、諸経中王、悪人成仏の妙典たる、法華経の御題目の響きを対鏡として起こしたと云うことが、まことに有り難い動機である。当のご本人はただカンカン腹が立ったほかなんらの所得もなかったと思うているうちに、憤慨に煮え返った良民の八職心田の心の奥底には、既に逆縁済度の鋤がすき込まれ悪人成仏の佛種子が播かれてしまった。この上はなんぼ成仏なんかしたくないとおっしゃっても、それは成仏せぬわけにはどうしてもいかなくなった。こう見当を付けた時に一良民の憤慨の如きは、すなわちこれ入仏門の懺悔告白の異の手段であった。自称の一良民はまたこれ仏法の中の真の一良民である。煩悩即菩提とは、かくの如き救済の妙用を称するのだ。

撃鼓宣令

               【撃鼓宣令】  昭和九年
 日本山の修行は非合法的に非ざるとともにまた合法的でもない。超合非合法的である。
いわゆる出世間法の面目は、世間法に合非合の論議を超過しておらねばならぬ。宗門の思想とする法国冥合の暁の如きは遠き将来の目標である。右顧左眄ないし、盲目跛行の今日の世間法と強いて一致することを急ぐ者は諂曲の僧侶の愚案であらねばならぬ。
世間法が如来の正法に一致冥合するまでは、日本山はいつも世間の怨嫉迫害のなかに立っていることが真実義である。

              【 撃鼓宣令 】   昭和九年
 世間に好しと称せらることは、末法濁悪の世に於いて正法を護持する者にとって永遠に禁物である。世間の毀辱に刀杖が閃(きらめ)くが如く世間の称賛には劇毒が盛られてある。
毀辱の刃を忍び得たる宗門もかえって称賛の毒にあてられた。日本山の行くべき道は、いつもいつも佛祖の勅命を受けた自己一人以外の何者も伴れたってはならぬ。
深固幽遠無人能到は法華経の行者の却下立地の風景である。
ーーーーーーーーーー中略ーーーーーーーーーーー
撃鼓の本旨は、すなわちこれ宣令である。宣令は四方弘法であり、四方求法である。

日本山妙法寺

        【仁王護国鈔】
 日本山妙法寺は各宗僧侶の資格に洩れ一般社会の競争に敗れ名利両(ふたつなが)ら失いたる、教導職能化の器に不適任の者を蓄えるを以って本意とす。仍(よっ)て官庁の認める適任の思料に外れ宗務院の登録する資格に当たざること必然の約束なり。只、独り仏弟子の詮考に叶うを以っての故に自ら出家得道して私かに仏子の威儀を学ぶのみ。

日本山妙法寺

      【毒鼓】 遣使還告  (3)
 
予が日蓮大聖人を高祖と仰ぎながら、別に日本山妙法寺の僧加を構成して独自の修行をする所以も、日蓮宗一般に教機時国序の格網ともに、あまりに狭義の解釈を施し、時機にあたれる救済の手を垂るること無きが為に、是好良薬を稍もすれば時代に施しおくれ機根に合わざる恐れがあるが故に撰時鈔の明文に由り、自由の弘通をすることである。

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