藤井日達上人

正法

【日蓮聖人様高橋入道殿御返事に曰く】
 「まして、一日も我が方とて心よせなる人々は、いかでかおろかなるべき、世間の恐ろしさに妻子ある人々の遠ざかるをば、ことに悦ぶ身なり、日蓮に付いて助けやる方は無き上、僅かの所領をもめさるるならば、仔細も知らぬ妻子所従等がいかになげかんずらんと心苦し」以上
日本山もまたまたかくの如し、日本山に入りたりとて、扶けやりたる方は無く、創価学会などに悪口せられ、暴行脅迫せられん時、仔細も知らぬ妻子、眷属が、いかに嘆かんずらんと心苦しければ、信者、壇越の遠ざかるをば、殊に悦ぶ身である。
創価学会の会員獲得のごときは、高祖大聖人の御本意に叶うゆえんはない。正法は、多数をたのむ必要はない。
草は多けれども、大内裏の柱とならざるごときものである。

桃尾の滝の霊夢

【桃尾の滝の霊夢】
 私が日本山を開いたことになりますが、非常に苦労しました。勉強をして仏法の事を習えば、何か解るかと思いましたけども、少し覚えることもありますが、我が一生の方針として間に合うものはありません。
三十三歳で立たねばなりませんけど、その以前に、出家として、御祖師様のお弟子として生きて行く方針が立ちませんので、初めて、あちらこちらで滝に打たれたり、御断食をしたり、山に登ったり、さまざまなことをしました。
大和の国の天理教の上の方に、桃尾の滝という、昔、奈良の高僧が道場を建てた滝壷があります。秋の暮でありましたが、さっそく三十三歳を迎えねばならん時、御断食をしてその滝にかかり、一心に御祈念いたしました。
そこで初めて不思議な霊夢を感じました。変なことのように聞こえますけれども、夢で上行菩薩に会いました。
上行菩薩が、背中に子供を背負って私の所に歩いて来ます。それで私が「あなたはどなたですか」と尋ねました。「上行菩薩です」。「背中の子供は誰ですか」と言う。「お釈迦様です」。御釈迦様を背負って団扇太鼓を撃って歩いております。それっきりであります。私、真剣にこの夢を霊夢として受け取りました。
断食明けに、奈良のご信者が迎に来てくれ、伴われてその家に行って、さっそく「私の決心がつきました。これから歩きまわります」。笈摺(おいずる)と申して、桐で長方形の箱を作りまして、それに御妙判とか、少し着替えも入れました。宿のない時、晩にどこかで休まねばなりません。一枚の毛布を半分に切りまして、笈摺の上に乗せました。こうもり傘一本、脇に立てるようにしました。
背中に背負ってまわります笈摺ができますと、表にお題目を認めまして、私の名前も認めます。それから、左右の両脇に「勧持品」の「聚楽・城邑に、其れ法を求むる者有らば、我皆其の所に到って、仏の所属の法を説かん」という一偈の経文を認めました。
これが、日本山の道を踏み開いた私の初めての出で立ちであります。
「聚楽・城邑」に、町でも村でも「法を求むる者」があった時、その人を訪ねて、仏様から付属されたお題目を、広く一切世間の人に説く誓願を、今日まで一生修行してまいりました。「勧持品」の偈の経文が、日本山を創り出しました。
皆様方も、その御弟子であります。今日、日本山が開けておりますのは、歩く者ができたんです。歩き廻るんです。
 
(昭和五十八年九月十八日 オーストリア国ウィーン道場)


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台北 花市 

マヘシ、コタリ君へ

【マヘシ、コタリ君へ 】   三月十六日
剣を採れば必ず勝たねばなりませぬ、勝算なき戦争をする程悲惨な行動はありませぬ。―――――中略――――――
戦争は消耗の最も甚だしき賭博であります。たとい戦勝しても、軍事負担は、全国民の心を離反せしめます。況や敗戦する時には、指導者は国民に呪われねばなりませぬ。

陀羅尼品「乃至夢中 亦復莫悩」

陀羅尼品「乃至夢中 亦復莫悩」
只今拝みました陀羅尼品と申しますのは、法華経の中で二聖二天十羅刹女と申しますこの御文の御人方が後の世に法華経を持つ人を守護すると言う誓願をお釈迦様の前で述べられました。その誓願の言葉であります。それを陀羅尼呪と申します。で、法華経は支那の言葉に漢語に翻訳されました。皆、「自我得仏来」も漢語でありますが、漢語に法華経全部を翻訳されました。けれどもこの陀羅尼呪だけは翻訳されませんで、霊山会上で二聖二天十羅刹女が説いた言葉の音のまま伝わって来ました。それでこれは漢訳しません。漢訳すれば多少の意味がありましょうけど、元来これは漢訳すべきものでない。漢訳されておりません。霊山会上の発音がそのまま今日に伝わっております。
それでこの陀羅尼呪を要文抄の中に取り入れましたのは、最後の言葉に「乃至夢中 亦復莫悩」と言う言葉があります。所詮護るけれども夢の中でも悩ます事は許されないという。夢の中で襲われた経験のある人があるかもしれませんが、夢の中で襲われる事があります。怖い夢を見ます。その悪い夢、怖い夢を見せない様にする。怖い夢をみせるのも、様々な鬼神達やら羅刹。目には見えませんけれど、そんな存在がありまして人を悩ませます。それから夢の中でも法華経を持つ者を悩ましてはいけないとそう言う言葉がありますが、十羅刹女がお釈迦様にこの陀羅尼呪を説いて、説いた趣意を説明しております。で私達は夢を見ます。これはどうにも良い夢を見ようと思うても見られるものでない、その中に悪い夢を見る事が誠に困ったものであります。けれどもこれも仕方がない。夢というものは自分一人で見る様でありますけれども、そうでもない。近くこの頃、王舎城に内地から御骨を納めに参った大阪朝日新聞の記者があります。そのお父様が比叡山の大僧正であります。この御人が房州清澄の仏舎利塔の落慶法要の時に比叡山を代表して参詣なさいました。それ以来日本山の宝塔建立を随喜されまして、ネパールやインドや各地にお参りなさいました。その時に何時も朝日新聞の記者をしておりますお子達が随身して居りました。そのお父様と言うのが亡くなります時に、私の御骨を霊鷲山に収めて下さいと言って遺言をしました。それで一周忌に成る前に納めに来られたのであります。ところが不思議な事にその御臨終の御遷化の朝ですね。御信者の何人かの特別な御信者が夢を見ました。同じ様な夢をみました。その比叡山の大僧正が旅姿をしました。そして、夢の中に現れました。私もこれからインドの霊鷲山に参って来ます。それは一人でなくて何人かの御信者が同じ夢を見たのです。そうなりますと、夢を見せる別の存在があったのです。これが幸いにそんな御上人様が御信者に夢を見せたのであります。別れの挨拶をなさったのであります。この事を考えますと夢もこちらが見たいから見るのでもなければ勝手放題にでたらめに見るのでもない。時あって外から夢を見せる。夢に現れてくる世界があります。その夢の中でも法華経の行者を悩ましてはいけないと、そういう言葉があります。私等が法華経を持つと言う事の力強さを、お経文の力を信ずる時、現れて来ます。
で、夢でも猶守られて居る。親が子供が眠ったと言っても側でやっぱり気を使って守っております。あのように我々が眠った後までも悪魔と言う言葉で言えば悪魔が悩ます事を許さないで守って居る、そう云うことなんです。この法華経の文を信じて床に着きます。安らかな夢を見ねばなりません。それから今日はこのランカの暦で満月の宵だと申します。けれども不幸にしてお月様が出ては居りましょうが雲が遮って拝む事ができません。明日が日本の暦で満月であります。明日は拝めるかも知れない。私が一代の中で満月の日をしばしば迎えて拝みました、拝みましたけれども、あの印度へ渡りまして、カルカッタの道場がほぼ完成しました。あらまち建ちましたので満月の月見をヒマラヤ、雪山でしたいと思いました。雪山のダージリンに参りました。仏教のお寺がありますからそこに泊めて貰って一人でお月様を拝める所まで少々山を登りました。丁度お月様を拝む事が出来ました。これはどうも広大な銀世界にお月様が一つ照らし渡りました。この姿が一代の中で満月の最も記念の一夜となりました。皆様方も良い満月を見て頂きたい。
(昭和五十二年九月二十六日 仏足山)

陳 情 書

陳 情 書       仏教僧衆  藤 井 日 達

        惟時昭和二十一年八月六日
 我教主釈尊拘尸那域に於て入滅度の後およそ一百年にして中天竺摩訶駄国に阿育大王誕生し給う。大王躰軀麁剛にして精神もまたすこぶる猛烈なり。少年の日より戦闘征伐を好み、殺生残害を喜ぶ。国民にしていやしくも制を紊る者あれば、これを捕えて極刑に処し、近親隣里ながら諍を構えて直ちに征服し、その勢力日に強大となり、諸の大小の国王等敢て畏服せざる者無きに至りぬ。
大王これに於て悪心いよいよ熾にして、人民日夜安穏の想を生ずること能わず、遂に憍慢心増上して武威をもって一閻浮提を統一せんと欲する大願を発し、朝夕に兵を精にし、武を練りて寧日無し、たまたまこの時如来の遺弟子に夜叉尊者と称する大阿羅漢あり、阿育大王を教化せんがために独り王宮に詣り、大王を諫めて曰く。
 「仏法に不殺生戒を説く如来の制戒の中に、殺生をもって一切罪悪の中の最も重きものとなす。下は昆虫より中は六畜に及び、上は人類同胞の生命を絶つ者はその罪悪の報酬として死して未来世に地獄の火焔に焦がさるべし。大王しきりに戦闘を起こし、人畜の寿命を奪うことその数量り難し。大王他日命終の日まさに地獄に堕ちさせ給うべし。彼の戦闘によりて得るとろの勝利は、必ず他の国王人民の怨恨を買って刑罰をもって慴伏せしむれば民の不平を募らしむるに過ぎず。すべからく諸の悪法を廃し戦闘を止めて、一切の人民安楽にその生を楽しみ、隣邦平和に交を厚う也させ給わば、大王の将来はなはだ慶福来らん」と。
 阿育大王これを聞いて逆鱗斜ならず、この夜叉尊者を捕えてもっとも惨酷に処刑せんと欲し、試に問いて曰く。
 「汝地獄の火焔を説く、朕未だかつて斯の如き談話を聞かずはなはだ希有となす。朕がためにさらにくわしくこれを説け」と。
 夜叉尊者即ち八大地獄の相貌を説く中に曰く。「大火坑あり臭煙蒙々、火焔乱れ舞うが如し上に一条の鉄線を張る、罪人に重担を負わしめて駈りてこの鉄線を渉らしむ等云々」。
 大王掌を拍して曰く、「善哉これを説けり。朕この地獄を造りて罪人を呵責すべし。しかして汝をしてまずこの大火坑を渉らしめんと欲す」と。夜叉尊者大神通力を現して阿育大王のために説法教化す。
 大王翻然として邪見を転じ、たちまち戦争を廃棄し慈悲心を生じ、殺生を禁断し、飲酒噉肉を止め、大王膳にもなお腥肉を却け、慎んで如来の制戒奉持し、その皇子皇族を仏法の中に出家剃髪せしめ、海を渡ってセイロン、ビルマ等に派遣して、仏法を伝道せしめ、法門の棟梁を選抜して大法官と称し、遠く小アジア、ヨーロッパに仏法の福音を宣伝せしめ、これによって平和の国交を修せしめたり。
阿育大王の仏教復興はその統治下にある全民衆の欣ぶところとなり、一大王国渾然として一体となりてインド民族文化の開発となせり。仏教経典の結集を行い、寺を建て僧を度す、その数挙げて数うべからず。特に釈迦牟尼仏の遺蹟四大霊場を始めとして、各地に自ら巡礼し、石の宝塔を建てて、如来の功徳を宣揚せり。その建つるところの石塔八万四千の数に達すると伝えたり。漢土、日本にも阿育大塔と称する者二三あり。その真偽は不明なれども大王の功徳を推するの一端として、また見るべきものあり。
 爾来星霜移ること約二千八百、あるいは二千四百を経て、荒廃せる物鮮からずといえども、今日なおインド各地に阿育大塔と称する物厳然として存在し、阿育王文字の彫刻鮮明に残れる物若干あり。インドの仏蹟巡礼の客として、石塔の下底廻転た禁ぜず。往古を徜わしむる唯一の記念となれり。
 阿育王の仏教文明は、インド民族五千年の歴史上空前絶後と称せらるる発達を遂げたり。阿育大王の功績は仏教の流通とともに、日に新たに宣伝せられ、万国歴史上もっとも多くの人によりて、敬仰親愛せらるること、如何なる時代の如何なる帝王英雄よりも勝れさせ給うべし。
 善悪は本と二物に非らず。人の一念心の左右のみ、人の一念がもし善の指導を被らばその人善人にして、善行をなすに至るべし。世に悪業を造作する者あれども、これを訓うるに善をもってすれば、また善人となすことを得べし。邪正はまた一体の表裏のみ。表相の邪見も裏面の正見を離れず、正見一度表面に出れば、その人また邪見を発せず。阿育大王は正しくこの現証の人なるべし。
 日本国人王第一代を神武天皇と号す。天皇生まれながらにして明達意かたく強くまします。御年四十五歳に及びて諸兄及び御子等を集めて曰く、東に美しき国あり、青山四方に囲れり、彼の地は必当に天業を恢め弘べて天の下にみちたる足りぬべし、何ぞ就きて都作らざらむと天皇みずから諸皇子舟師を帥いて東を征ちたもう。しかして六年にして大和国畝傍山の東南橿原の地に皇都をひらき帝宅を経め初め給う。その時に令を下して曰く、
「六合を兼ねて以て都を開き八紘を掩うて宇と為むこと亦可からずや」
 この意は帝都を開いて全国の文華を嵩むべし、帝都は単に帝王の帝都たるのみに止まらず、すべからく全国内の帝都たらしむべし、帝宅は天皇の邸宅たるのみに非ず、億兆臣民の邸宅たらしむべし。今時運屯蒙につらない、民心素朴なり。あるいは巣に棲み、あるいは穴に住むをもって平常一般の習慣風俗をなせり。まさに山林を披き払いて宮至を経営し、人民の生活状態を改善せんがために率先して規準を示すべしとなり。故にまた曰く「夫大人の制を立つ義必ず時に隨う。いやしくも民に利あらば何の聖の造作に妨わん」と。まさに知るべし皇都をひらき大壮を作らせ給うの意は素朴に順れたる民心を導きて人民生活を有利にし、豊富にし、快楽ならしめんがためなり。これを民に利有りという。
 皇都成り帝室成りて翌年春正月橿原宮に帝位につき給う。この歳を天皇元年と為す。これより二千六百年を迎え、神武天皇発祥の地宮崎なる古代の帝都付近の地を相し一大記念塔建つ、題して「八紘の基柱」と称す。時運偶々日本の戦時下にあり、日本国内に於ては教育宗教あわせながら軍事に動員せられ、農工商業みな軍事に利用せられざるは無し、八紘基柱もまた軍事に利用せられて日本の戦争的発展の表徴とせらる。これ神武天皇の詔勅を誤る大なる者なり。
 誠にみよ神武天皇の皇都経営より二千六百年内には国民と皇室との戦争殆んど有ること無し。近隣諸国との兵を交うるが如きことは僅かに一両度に過ぎず、万国史上比類なき平和国家の基柱と肇められたること実に神武天皇肇国の詔勅に渕源する所以なり。しかるに明治維新已来隣邦と兵火を相見ること指を屈する遑あらず、けだし皇祖国を肇むるのに心背ける所以か。戦争後幸いにして八紘基柱の意義を訂正してこの軍事的色彩を剥脱せしめ、これを神武天皇詔勅本然の平和の象徴として将来民心の転換を計らんと欲する情切なり。
 神武天皇よりおよそ一千三百年にして推古天皇帝位につき給う。日本の天皇として最初の女帝なり。もっとも深く平和を愛し給う。天皇即位十二年十七条憲法を作って天下式目たらしめ給う。その第一条に曰く、
 「一に曰く、和を以て貴しと為し忤うこと無き宗と為す。人皆党有り亦達者少し、是を以て或は君父に順わずしてまた隣里に違えり。然れども上和き下睦いて事を論うるに諧いぬる時は則事理自ら通う何事か成らざらん」と。
 日本の皇室に於て、一千三百年已前に制定せられたる十七ヶ条の憲法のその第一条は実に和を貴み忤うこと無きを宗と為すと宣べり、この憲法出でてのち奈良朝平安朝に亘るおよそ四百年間は一人の死刑囚を出さざりし太平の御代にして、日本文化最高峰を称せらるる歌集歴史物語等世に現れたり。この間近隣諸国との往来交通は盛んなりしかども相互に相侵することなかりき。憲法第二条は平和建設の指導機関として仏教興隆の詔勅を徹底せしめんがために、
 「篤く三宝を敬うべし、三宝とは仏法僧なり。則四生の終帰万国の極宗なり、何の世何の人が是法を貴ばざる。人尤だ悪しきもの鮮し能く教うるをもて従いぬ、其三宝に帰りまつらずば何を以てか枉れるを直さむ」と宣べり。
 一国の平和は但だ法令の制定のみにしては到底実現さるるものに非ず、すべからく一国人民の心中に平和の気分育成の方法を講ぜざるべからず。これ即ち宗教的工作の重要なる所以なり。推古天皇は即位早々に「興隆三宝」の詔勅を発し、日本国に於て一千三百年来未曾有の新宗教採用に国論を定め給えり。果せるかな十七条憲法の平和の国定は「興隆三宝」の詔勅と相表裏して日本国二千六百年間に画期的太平安穏の歴史を作れり。
 しかるに中古武家政治の台頭するや平和の憲法は破棄せられて暴力はこれに代わり、仏教の興隆は廃止せられて刀槍甲冑に熟練し、戦国時代を経て遂に封建制度となり、日本国の上下を挙げて武士の支配下に置かるるに至れり。この間武士道学と称する一種諂曲の邪見を論説し、武士を礼賛し武家政治を強化せり。
 明治維新の革新はこの封建制度の武家政治の廃棄するに成功したけれども、武士道学は隠然として漸く日本の軍部を煽動して、遂に国を挙げて戦争に狂奔せしむるに至れり。明治維新の革新に於て皇室と仏教とを隔離し、政治軍隊教育の各種機関より完全に仏教を駆逐し、かえって武士道をもって国民の精神教育にあてんとせしこと曠古の失政なり。
 現下日本の国民は心に平和の仏教を失いて呆然として自ら嚮うところを識らざるが如し。人の心は善に赴かざれば則ち悪に動く、斯の如くして推移すること若干年ならんに国運の前途甚だ暗澹たるものあり。今にして終戦の詔勅を奉行せしむべき精神的宗教工作を施さずんば、まさに収拾すべからざる人心の荒廃を来し延て社会の禍乱を生じなん。故に神武天皇皇都経営の詔勅の本旨を再検討し、推古天皇の平和尊崇の十七条憲法に格準せしめ、今上天皇終戦の詔勅を貫徹せしめんがために、仏教僧衆日達深く釈迦牟尼仏陀の経文を探りて、彼の「八紘の基柱」をしてその意義を転じて仏舎利塔と為し、如来法身平和の教法を尊敬して、内にしてはこれをもって日本国絶対平和の国是額立の標示と為し、外にしては彼の万国の人をして礼拝偈仰の対象と為さんと願ず。
 妙法蓮華経序品第一に曰く
「文殊師利 又菩薩の 仏滅度の後 舎利を供養する有り 又仏子の諸の塔廟を造ること 無数恒沙にして国界を厳飾し 宝塔高妙にして五千由旬 縦広正等にして二千由旬 一々の塔廟に各千の幢幡あり 珠を以て交露せる幔有て 宝鈴和鳴せり 諸の天竜神 人及び非人 香華妓楽を常に以て供養せるを見る 文殊師利 諸の仏子等 舎利を供せんがために 塔廟の厳飾して 国界自然に殊特妙好なること 天の樹王のその華開敷せるが如し」

 謹んで経文と案ずるに、如来滅度の後仏舎利を供養せんがために無数恒沙の塔廟を造り、香華妓楽をもって常に供養すべしと、即ち宝塔の建立は衆生世間には質直にして意柔軟に香華妓楽を娯しむ優美の生活を与え、国土世間には国界を厳飾して平和の気分を養い、春夏秋冬を凋落することなき天の樹王のその華地上に開敷せしめたるが如しとなり。昔聖徳太子十七条憲法の首項に平和無忤の国是を提唱し給うや、これと表裏して仏舎利塔建立のため遠く三韓より職工博士を招き工事に当たらしめ給えり。この外法華経の中に塔廟を起てて舎利を供養するの功徳を説き給えること、その文繁多なり今総てこれを省略す。
 灘速の四天王寺、大和の法隆寺の五重塔の如きは即ちその遺蹟なり。これらの仏舎利塔は一千三百年間代は幾変遷すれどもその間不断に日本民族を教えて質直にして意柔順ならしめ、日本国土荘りて平和の風景を添えしこと、その数挙げていうべからず。また今日本は平和の国家として更新せんとするに望み、仏舎利塔の建立は必須の要求なるべし。仏舎利塔建立に先立って従前各種の意義に由て建立されたる塔廟を開顕して仏舎利塔に転変せしむれば、これ則ち祖先の功労を将来の平和建設の礎石として有効ならしむことを得べきなり。
 去る昭和五年の頃よりインド各地に遊び、昭和十三年支那事変の平和的解決の方を心中に秘して日本に帰り、戦争最中の支那各地、満州北支中支南支に巡錫して仏舎利塔建立の議を提唱せり。これに応じて満州新京には張国務総理を会長とせる仏舎利塔奉讃会起り宝塔建立に着手す。続いて昭和十九年南京市紫金山麓革命烈士記念塔の頂上に仏舎利を奉安す。当時の楮民禰外交部長がこの発起人なり。その翌年昭和二十年春四月二十八日北支政務委員長王揖唐居士の発願に由て北京西郊外に聳てる乾隆皇帝の勅建に係る玉泉山の七層樓の頂上にもまた仏舎利奉安の式を挙げたり。内蒙の王爺廟成吉汗廟にも同年五月また仏舎利を奉安せり。
 この外香港、台湾、広東、上海、漢口等に已に仏舎利奉安の式を挙げたるもあり、まさに挙げんとして終戦に会えるもあり。これを要するに、東亜の平和は仏舎利塔建立荘厳の一事に由て恩讐の苦海を越えて親善の彼岸に到達することと得べき旨、多年兵火戦塵の間に於て彼我の民族を通じて漸く証明されんとす。
今「八紘の基柱」をして転じて仏舎利塔を為すことを得ば啻にこれを建立せし懸下人民の苦労を空しく水泡に帰することを免れしむるのみならず、日本国民に平和第一の方針を示し、近隣仏教国民族をして日本に仏教復興の機会到来せるを喜ばしむべく、後代永らく大平の基礎を祝福して香華妓楽をもって塔を供養すべし。誰の有智のものかこの仏事を隨喜し奉讃せざらん。
 過去を省み将来を慮って現下国運の一大転機に際し平和の基礎を額立せんがために陳情することを件の如し。

<編集部注>

 この陳情書は宮崎市内に建つ「八紘の基柱」を開迹して仏舎利にすべくG.H.Q.その他行政機関に提出したものです。この運動は実現しませんでしたが、戦争中威張っていた神道論者が青葉に塩の如く竦んでいる時に、敢えて「八紘一宇」の真の意味を仏教徒の立場から説かれている、誠に小気味よい小文です。短い文章ですが大思想を揚げられる藤井尊師の見識の高きをしる材料となりましょう。尚、この基柱の設計者である日名子実三先生は日本山の信者であって、終戦前の四月に世を去られましたが、生前にこの八紘の基柱に仏舎利を奉安することを尊師猊下に願望されていました。そのことは遂に実現しませんでしたが、八紘の基柱は「平和の塔」と名を変えて今日も宮崎市の名所となっています。日本山の仏舎利塔建立誓願は戦争中からのものですが、これの実現は昭和二十九年四月の熊本市花岡山をもって最初の仏事となりました。


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りんごの花

臘八修行

断食 昭和八年十二月十四日
断食修行一七日間をワルダの塾にてつとめ候、御修行中は特にガンディー翁のお居間を空けて御修行に便せしめくれ候。さすがに断食修行にかけては大英帝国の措置をすら、しどろもどろにうろたえしめたるガンディー翁の一門の人達なれば、其の手当ても其の苦痛も其の功徳も、熟知せられたることとて大層親切にお世話をしてくれ候。拙子もいつも臘八修行も勇み喜ぶ御修行ながら、今年は猶一層広大な歓喜と希望と安楽とに充足せられ候。

ダーウィンの進化論的菩薩、仏

【大道】 昭和二十一年
 ダーウィンは最も卑怯な動物すら我が子の為には恐るるところ無く立ち上がり、身を拠て子供を救わんとする事実を述べて、下等動物間にすら道徳的本能が有る事を指示している。
人間の優れたる点は、其の道徳心が下等動物よりも一段と鋭く、且つ高度に発達して、家族の為、団体のため、国家の為に其の身を犠牲にすることである。
是に於いて、人間各団体にとりて最も安全なるべき自己保存の法則の達成と、人類社会全般にとりて、最も永久に繁栄すべき種族保存の法則の達成とは、一般生物学的に検討しても、進化論的に探究しても、対立、排他。怨嫉的激情から闘争し殺生殲滅を行う事でなく、之と反対に格個人の心中に慈悲同情、仁愛の心を開発し、自ら実践し広く一切の人を教化し示導する事に依って達成する。此の如き大士を菩薩と名ずくる。
菩薩が住んで神通説する世界を浄土と言う。衆生善業の因縁に由って、浄土の教主として世に出現し給ふ者を仏陀世尊と称す。

輿 船 田 中 書

輿 船 田 中 書

 防衛庁の目的は日本国土と日本民族とを戦争の惨禍から免れしめんが為である。
アメリカ軍隊の駐留及び英軍事基地設定も亦此目的に外ならないものと云はれる。
 此の如き軍事的目的は世界各国何れも長い期間採用して来た常套手段であつた、併ら今日に於ては其等の軍備戦争機関は再検討を要する時となり、明日の安全と平和とを護らんが為には別の方便をエ夫せねばならなくなつた。
 戦争の原因は人の心である、国際間は相互に不信と猜疑と対立に憎悪と恐怖との心が積み重なれば結句国際的戦争行為をひき起す。
 日米安全保障条約は正しく戦争誘発の條約である。「在日米軍は一又は二以上の外国による教唆は干渉に由て日本国内に引起されたる大規模の内乱騒擾の鎮圧、外部からの武力攻撃に対する日本の安全の為に使用する」。
 近い将来に於て何等大規模の内乱及び外部の攻撃を予想されないにも係らず、日本国内にアメリカ軍の駐留を請ひ、一方的な軍備を強化する事は国内的には内乱騒擾を、国際的には徒に外部の侵略を想定して内外ともに不安と混乱とを増長せしむるに役立つのみである。
 行政協定は米国の陸海陸三軍の基地を此狭隘なる日本国土の内外に無制限に無数に設置し、其費用は日米折半に負担し、交通々信電力を侵略的に米国に使用せしむる協定である。
 日本国は開闢已来斯る屈辱を被らざりし歴史的尊厳、日本の神聖を信じて来た民族であつた。然るに此協定に由て、国土の神聖は侮辱せられ、農民の農園、漁民の水域を侵略して彼等の生活を破壊したるものがアメリカの軍事基地である。但だ彼等民衆の生活が破壊せらるゝのみならず、社会道徳習慣は踏み躙られ、婦人は堕落させられ、男子は軽賤せられ、其害毒は遂に忍び難きに到つて無辜の農民漁民の苦悩の叫び声は全国津々にたかまりつゝある。
 貴官今にして猶且耳を掩ふて農民漁民の苦悩の叫び声を聞くことなくして、世界に比類なきアメリカの飽くこと無き侵略を助長せしむるならば、結句日米両国間相互信頼の感情を喪はしめ、却て両国相互に嫉視反目の禍因を作るであらう。
 貴官は少くとも日本民族の苦悩の叫びを告げて.アメリカの横暴貪婪を阻止して基地の返還を強剛に要求することが貴官の天職である。斉く近代国家の苦悩とする所は専ら軍備負担の加重である、されば軍縮会議提案の要請も亦此にある。然るに日本国に於てはアメリカの強制に由て、ひそかに不戦憲法の網を潜つて作り出されたる軍備を防衛庁と称しておる。
 已来日々甚大なる国税の濫費を行ひ、防衛の名目を以て合法的に日本民族の生産を掠奪する強盗団と化したるかと想はしむるものがある。
 真実に日本国土と日本民族と、内には内乱騒擾、外には外国の侵略を免れしめんが為の防衛は、防衛庁の廃止であり貴官の退職を先決条件とする。
  昭和卅一年太才丙申七月八日
            日本山妙法寺 沙門  藤 井 日 達

防衛庁の廃止こそ外国からの侵略を防ぐ

防衛庁の廃止こそ外国からの侵略を防ぐ
 與 船田中書(船田中に与うる書)昭和三十一年太歳丙申七月八日 
 日本山妙法寺沙門 藤井日達
防衛庁の目的は、日本国土と日本民族とを、戦争の惨禍から免れしめんがためである。アメリカ軍隊の駐留、及びその軍事基地設定も、またこの目的に外ならないものと云われる。
此の如き軍事的目的は、世界各国いずれも長い時間、採用してきた常套手段であった。しかしながら、今日においては、それらの軍備戦争機関は再検討を要する時となり、明日の安全と平和とを護らんがためには、別の方便を工夫せねばならなくなった。
戦争の原因は人の心である。国際的間は、相互に不信と猜疑と対立に、憎悪と恐怖との心が積み重なれば、結句、国際的戦争行為を引き起こす。
日米安全保障条約は、正しく戦争誘発の条約である。「在日米軍は、一または二以上の外国による教唆、または干渉によって、日本国内に引き起こされたる大規模の内乱騒擾の鎮圧、外部からの武力攻撃に対する日本の安全のために使用する」
近い将来において、何ら大規模の内乱、及び外部の攻撃を予想されないにもかかわらず、日本国内にアメリカ軍の駐留を請い、一方的な軍備を強化することは、国内的には内乱騒擾を、国際的には、いたずらに外部の侵略を想定して、内外ともに不安と混乱とを増長せしむるに役立つのみである。
行政協定は、米国の陸海空三軍の基地を、この狭隘なる日本国土の内外に、無制限に無数に設置し、その費用は日米、折半に負担し、交通・通信・電力を侵略的に米国に使用せしむる協定である。
日本国は開闢以来かかる屈辱を被らざりし、歴史的尊厳、日本の神聖を信じて来た民族であった。然るに、この協定によって、その国土の神聖は侮辱せられ、農民の農園、漁民の水域を侵略して、彼らの生活を破壊したるものが、アメリカの軍事基地である。
但だ、彼ら民衆の生活が破壊せらるるのもみならず、社会・道徳・習慣は蹂躙せられ、婦人は堕落せられ、男子は軽賎せられ、その害毒は、遂に忍び難きに到って、無辜の農民・漁民の苦悩の叫び声は、全国津々にたかまりつつある。
貴官、今にしてなおかつ、耳を掩うて、農民・漁民の苦悩の叫び声を聞くことなくして、世界に比類なきアメリカの飽くこと無き侵略を助長せしむるならば、結句、日米両国間、相互信頼の感情を失わしめ、却って両国相互に、嫉視・反目の禍因を作るであろう。
貴官は少なくとも、日本民族の苦悩の叫びを告げて、アメリカの横暴・貪婪を阻止して、基地の返還を強剛に要求することが、貴官の天職である。斉しく近代国家の苦悩とする所は、専ら軍備負担の過重である。されば軍縮会議提案の要請も、またここにある。然るに、日本国においては、アメリカの強制によって、ひそかに不戦憲法の網を潜って、作り出されたる軍備を防衛庁と称しておる。
已来、日々膨大なる国税の濫費を行い、防衛の名目をもって、合法的に日本民族の生産を略奪する強盗団と化したるかと想わしむるものがある。真実に日本国土と、内には内乱騒擾、外には外国の侵略を免れしめんがための防衛は、防衛庁の廃止であり、貴官の退職を先決条件とする。
船田 中殿 昭和三十一年太歳丙申七月八日 日本山妙法寺沙門 藤井日達

この一念が必ず世界をして平和ならしめます。

「アメリカに唆されている」 昭和四十一年三月十九日 茨城県百里原道場

いま日本国の政府がアメリカに唆されまして、終戦後一度武器をすてて今後の世界情勢は武力や戦争で解決すべきではないから、一切話し合いでどんな紛争も片付けようといって、武力を捨てて戦争を放棄しましたが、アメリカは勝ちに乗じて、世界を支配する気分を起こしました。
それでまず日本をその足場にして、それから朝鮮、タイを経て大陸に向かって支配力を進めようとしまして、朝鮮戦争を起しましたが、それがうまく行かなかったので、これは唯足場に日本を使うだけではいかないから、日本の青年を使って再び戦争に立たせようということに腹を変えました。
これは始めは警察予備隊なんていうておりました、遂に自衛隊という軍隊に作り上げてしまいました。そうして自衛隊が今度は飛行基地まで作って、立派な戦闘部隊が出来ました。これは日本国を守りますよりは、アメリカがアジア支配の上に日本の兵隊を使うつもりであります。この間、議会で佐藤栄作が沖縄が若し攻撃されたならば、我が同胞の仲間が敵の攻撃をうけたら大変だから、日本も自衛隊を派遣して、応戦せねばならんと言い出しました。これは社会党が取り消すように申し込みましたが、取り消さないつまりでおりましたところ、どうもあんまり受けが良くないので、遂にそういう事は実は出来ないのだという話にしました。

「クーデターを起さすものは誰か」

この軍隊が出来ればやがて戦争を起し、戦争になります。戦争を起すのみならず、今度軍隊は唯ぶらぶら遊んではおりません、権力を掌握します。その権力を握る為には又軍隊が必要になります。それでアメリカが日本に軍隊を作らせて、その軍隊の幹部はアメリカが教育しております。
そのアメリカの教育した軍隊が、アジアでもアフリカでも、クーデターと申しますが政府をひっくり返して、政権を取っております。政権を取ればアメリカが金を貸し、それから武器を貸してやります。そういうものは皆アメリカの奴隷であります。この世界中をアメリカの奴隷にしょうとして、まず日本国をその足場に使っております。その一つがこの百里原になりました。
戦争勢力に抵抗する日本民衆の平和の祈りがこの道場となりました。お寺は小さくても責任は重いのであります。


「砂川基地の不思議な事故」

ほかにも東京の付近に砂川という処がありますが、そこにも畑の中に小さい小屋を建てまして、そこで平和祈念のご修行をしております。今日までその道場はまだ動きませんが、不思議な事に、そこに石の宝塔様を建てましたときに。防衛庁は建ててはいかないの、取り壊すのと言って居りましたが、その矢先に向こうの飛行機が何か事故を起しましてつまずきました。
それから最近、砂川の裁判でありますが、いよいよ無茶苦茶で、飛行場が出来たことは憲法に抵触しないといってどんどん拡張工事をしております。その拡張工事に日本山の道場が邪魔になるというので、いろいろと取り壊しの接取計画をしておりますが、この間、又大型輸送機が危なくつまずきまして、飛び立つ飛行機が飛び立ち損ひました。大した被害はありませんでした。それで宝塔様を壊すことも無しにお寺も壊さず、中で庵主さんがご祈念いたしておりましたが何事も別に無くて、飛行機だけの事故で終わりました。
もう二度ありました。三度あるかも知れませんが、これは本当に命がけでおらねばなりません。

「祈りが勝てば基地拡張は食い止められる」

今度の飛行機事故はどんな事になるか解かりませんが、最後どんなになりましても、日本国の平和を守る為に、そうして世界平和をいいますが、それは理屈ではいかないのであります。この世界の平和を守る上の大きい力になります。
砂川にしてもその通り。この敵を殺す戦争の力の下に、これを食い止める道を考えていきます。
平和の手段でこれを求めます。是非に人殺しをして、守ったり勝ったりして貰わなくてもよい。
世界のどの国とも、どこの人とも共に仲良く暮らすように祈っていきます。この祈りが勝てば飛行場の拡張も食い止められましょう。若しこの祈りが負けたとき、世界中も又日本もあの広島、長崎の悲惨な姿になってしまいます。

「この一念が世界を平和ならしめる」

小さいからといって侮れません。この一念は神様仏様の三世諸仏のお心に叶い、一切衆生の願いを代表しておるものでありますから、このご草庵が小さくても、此処でお太鼓を撃つ人が少なくても、この祈る一念が必ず世界平和の祈りを叶えて行くのであります。
日蓮大聖人様が佐渡の島で一間四面の荒れ堂で暮らされながら、然しやがて日本国一同に南無妙法蓮華経と唱えることは、大地を的として矢を放つより確かだと信ぜられておりましたが、そのお志を私らも継ぎまして、印度に渡って印度の独立もほんの三、四名のお弟子と一緒に御祈念いたしましたが、不思議として印度の独立を助けました。
ここにこんな軍事基地や政府を前にし、アメリカを前にして、そうして最新式の武装をした軍隊を前に置いて、あなた方の仕事はやめなさい。こちらの方で世界平和日本の平和を守りましょうと声高らかにお祈りをいたします。これが叶えば日本国は安全であります。これは叶わせねばなりません。
人数が少なくても、それからお堂が小さくてもそんなことは問題ではありません。この一念が必ず世界の平和を作らねばならんと祈る、この一念が必ず世界をして平和ならしめて行きます。
南無妙法連華経

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